松形元宮崎県知事、逝去

シーガイアのエントリーでも触れていた松形祐堯(まつかたすけたか)元宮崎県知事が、昨晩、肺炎で亡くなりました。


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宮崎ではニュース速報が流れました。元県職員の父のもとに贈られてきていた松形氏の著書『たゆたえども沈まず』について話をしていたまさにその時のニュースでした。

今朝の地元紙のには、オーシャンドーム9月末閉鎖のニュースを読んだ松形さんが、フェニックスグループの佐藤棟良さんに電話をしたという記事が載ってました。

「命を懸けてやったと語り合った。電話の向こうで彼は泣いていた。『会いたいな』と言われたが、私も車いすで会いにいけず・・・。人生の友だった」と涙を流した(宮崎日日新聞 07年8月24日朝刊)。

 
彼らのしたことを責めることは、心情的にはできません。それなりのやり方で、宮崎のことを考え、宮崎のために命を懸けたのでしょうから。


もちろん、批判はできます。


レジャー施設の楽しさ、おもしろさだけでは、もはや観光客は訪れてくれません。東京ディズニーランドUSJのような、施設自体に賦与されているブランドが必要なのだと思います。そのブランドを、観光客は消費するのだから。

そう考えたとき、シーガイアはブランド戦略、イメージ戦略において失敗したのだといえるでしょう。あのときの宮崎には、シーガイアに賭けるしか、オーシャンドームをつくるしか、なかったんだと思います。だからこそ、ソフト戦略に失敗したことが残念でならないし、その面でのサポートなりレクチャーなりをする人物はいなかったのだろうかと思います。

まあ、県政のトップと財界のトップが手を結んでいる状況で、そこに口出しできる人間はいなかったのだということなのでしょうが。


とはいえ、松形−佐藤体制、加えてその前の世代である黒木−岩切体制を通して、宮崎は観光資源を積み重ねてきたことはまぎれもない事実です。それは、新婚旅行ブームであり、数々のホテルであり、大淀川沿いの風景であり、国道の中央分離帯に植え込まれているワシントン・パームであり、宮崎空港の拡張であり、プロ野球Jリーグのキャンプであり、シーガイアであり、野菜や果物など豊かな農産物であるわけです。

そしてそれらは、いまの宮崎ブームを下支えしているものたちなのです。ただ、これまでは宣伝が下手だった。売り方が下手だった。東国原知事は、これらの資源をうまく売ってくれたのです。


亡くなった松形さん89歳、車いす生活をしている佐藤さんも88歳。

1つの時代が終わろうとしているんだなと、東国原ブームのなか、なおさらに感じさせられました。



松形氏のご冥福をお祈りします。