観光について考える

久々の更新です。この間、大学のオープンキャンパスがあったり沖縄にいったりとまあいろいろありまして、更新しそびれてました。しかも明後日からは実家に帰省だし・・・この夏はなにかと忙しいです。

沖縄では、友人との飲み会で、県の観光課で働かれている方と観光について話す機会がありました。そこで話しているなかで観光について色々考えたのですが、忘れてしまいそうなのでここに書いておくことにします。

まず沖縄の観光について。観光客は数としては伸びているけれども、客単価は低いままだとのこと。9.11のとき、「沖縄=米軍基地があるから危険」というイメージのもと、修学旅行の中止などに触発されて激減してしまった観光客を呼び戻すべく、パックツアーの料金が一斉に下がったのですが、そのころからあまり値段があがっていないのだとか。そのせいで、客はいるのに経営がうまくいかなくなってしまったホテルもあるのだと。
沖縄側としては、高級リゾート化を図るなどしてなんとか立て直そうとしているところだそうで、そういうことを考えるにつけ、沖縄で癒される観光客の無神経さを批判するだけではいかんなと思い知らされます。

続いて観光一般について。

なんの検証もなされていない持論ですが、僕は、ひとが「観光」をするとき、「なぜそこに観光しにいくのか」を他人に説明しやすいところに、観光客は集まるのではないかなと思っています。

例えば夏に沖縄に観光にいくことって、あまり不自然な行動ではないんですよね。夏に沖縄にいけば、きれいな海で泳ぐことができる、だから夏休みに沖縄に旅行しにいく。なんで夏に沖縄にいくの?なんて聞く人は、ほとんどいないと思います。実際には、夏は台風がよくくるし、雨も多いし、そもそも沖縄の人たちは海で泳いだりしないので、「夏に沖縄にいく」ことは、あまり合理的な行動だとはいえないんですけどね。

沖縄の場合は、そうでなくても観光客は多いのですが、例えば宮崎を考えてみたとき、かつては「新婚旅行のメッカ」だったので、多くの人たちが新婚旅行で宮崎を訪問してくれたのですが、それはまさに宮崎が「新婚旅行のメッカ」だったからであって、ということはつまり、「新婚旅行で宮崎にいってくる」というのは、当時はとても自然だったということなのではないかと。
そして今は、東国原ブームなので、「宮崎に旅行にいく」といえば、「ああ、あの宮崎ね。食べ物おいしそうだよね」とまわりも理解してくれやすいので、観光客も増加しているのではないかと思うのです。
石見銀山世界遺産になったとたんにかの地への観光客が増大し、町はてんやわんやになっているというニュースをみましたが、これも同じことだと思います。

そもそも「観光地」というのは、観光をしてもらうために存在しているともいえるわけで、たまたまある地域を訪れたとき、そこが「観光スポット」として意味づけられていさえすれば、特に見たいとも思っていないような資料館や史跡であっても、とりあえず入館料などを払って観光しちゃうってこと、あるんじゃないでしょうか?

そういうふうに考えていくと、観光客を呼び込むには、その地域を観光することの妥当性を高め、広く一般に認知してもらうことが不可欠なのではないかなと思うのです。その意味で、東国原宮崎県知事は、たいへんにいい仕事をしてくれていると思います。


以上、備忘録がわりの長文でした。