シーガイアについて語る(その1)

ここ数日、シーガイアについてのニュースを立て続けに読んだ。開業後初の営業黒字、およびオーシャンドームの閉鎖だ。

この機を逃すとまた書く機会がなくなりそうなので、いつかどこかで書きたいと思っていたシーガイアに関する自分の想いを、これから少しずつ書いていこうと思う。

シーガイアについて語る上で、フェニックス国際観光の社長、佐藤棟良氏をはずすわけにはいかない。

宮崎出身である佐藤氏は、大阪での事業の成功によって手に入れた資金を元に、フェニックスホテルを1965年に開業する。折からの新婚旅行ブームにものり、経営はすこぶる順調。まさに「故郷に錦をかざった」のである。

ところで佐藤氏の名前をひらがなにすると「さとうむねよし」となる。しかし県民の多くは名前を音読みして「トウリョウさん」と、親しみをこめて呼んでいた。大工の棟梁を彷彿とさせるその呼び名は、ボス的な彼の性格をよくあらわしていた。

しかし一方で、私の世代以上の県民の多くは「さとうむねよし」という呼び名をきくと、反射的に思い出す言葉がある。

「大淀川慕情」だ。

「大淀川慕情」とは、宮崎のシンボル的な河川である大淀川について歌った演歌である。佐藤氏は、もちろん歌手ではない。経営者だ。その佐藤氏が「大淀川慕情」を歌っていることを、多くの県民が知っている。

なぜか?

毎晩、テレビから流れていたからだ。

宮崎には今でも民放は2局しかない。そのうちの1つ、MRTというTBS系の地方局が1日の放送を終える午前1時頃、佐藤氏の歌声が、大淀川の夜景とともに、ブラウン管からきこえてくるのだ。NHKが国歌を流すように、MRTは大淀川慕情を流していたのだ(たまに「咲かない花」であったときもあった。もちろん佐藤氏が歌っている)。

それくらい、佐藤氏は宮崎において影響力をもっていたのである。

その佐藤氏の手がけた宮崎観光も、沖縄が日本に復帰し、「本当の南国」がうまれて以降は、徐々に衰退していく。私が物心ついたころには、かつて新婚旅行客がこぞって宮崎に訪れていたことなど、想像だにできなかった。唯一、プロ野球のキャンプが集まる2月、3月だけが、宮崎に注目があつまる時期であった。

そんな宮崎観光をもう一度立て直したいという気持ちをもっていた佐藤氏は、バブルの最中、1987年に制定された総合保養地域整備法、いわゆる「リゾート法」に注目する。

リゾート産業の振興と国民経済の均衡的発展を促進するため、多様な余暇活動が楽しめる場を、民間事業者の能力の活用に重点をおいて総合的に整備することを目指し制定されたこの法律は、自治体と民間企業との協力による観光開発を可能にするだけでなく、もう1つ、重要なことを可能にしている。リゾート開発目的による国有林の伐採である。

この国有林の伐採が可能になったことで、シーガイアは海岸沿いの松林を伐採して施設を建設することができたのだが、そこにはもう1つ、注目すべき因果がある。

長く県政を司っている松形宮崎県知事(当時)は、元林野庁の長官だったという事実である。

(つづく)