シーガイアについて語る(その2)

松形祐堯(まつかた すけたか)。

1979年から2003年まで、6期にわたって宮崎県知事の職にあった氏は、70年代半ばに生まれた自分にとっては、知事=松形さんというイメージであった。
なお、その前の知事であり、宮崎を一大観光地に育て上げるのに多大な貢献をしていた黒木博氏も6期つとめており、このことからも宮崎県の保守性が伺われる。


その松形知事が、知事になる前に林野庁の長官をつとめていた。当時(いまも、かもしれないが)林野庁の財政は大きな赤字を抱えており、その赤字を少しでも減らすために国有林を伐採したいという意向をもっていた。


そのようなときに、かつて長官をつとめていた人物が知事の職にある宮崎県がリゾート法の適用をうけ、シーガイアの建設に向けて動き出したのである。観光施設の敷地にするために国有林を払い下げることがリゾート法の適用により可能になった宮崎県が、国有林である一ッ葉(ひとつば)の松林を伐採することでシーガイアの敷地を確保したのは、こうしてみると必然であったといえるのである。


なお、この松林の伐採に関しては、松林が防風林・防潮林としての機能も果たしていたことなどから、住民が訴訟を起こしているのだが、第一審の宮崎地裁で住民側の請求が却下、棄却されている。


こうした背景のもとで、シーガイアは、「海のそばにつくられた人工の海」である、全天候型ドーム施設「オーシャンドーム」を中心とするホテル、コンドミニアム、テニスコート、ゴルフ場などによって構成される一大リゾート施設として、伐採された松林の跡地に、総工費2000億円ともいわれる巨額の資金で建設され、1993年にオープンした。自分はちょうどこの年に大学進学のため上京したのだが、夏休みに宮崎に帰省するため、モノレール浜松町駅にいったとき、シーガイアの大きな看板が掲げられていたのをよく覚えている。


さて、この巨額の資金を融資したのが、第一勧業銀行、現在のみずほ銀行である。第一勧業銀行といえば、宮崎に唯一あった都市銀行だというイメージが強いのだが、このシーガイア建設に関して第一勧銀は、大量の資金を垂れ流している。


初年度の入場者目標は250万人と設定されていたが、最大の入場者数を記録した1995年でさえ124万人と半分でしかない。そもそも、大人4200円、子ども2000円という料金設定が、日常的な娯楽に利用するには高すぎたため、地元民はおいそれとは遊びに行けなかった。極端な言い方だが、観光客だけで250万人を呼び込むに等しい計算であったともいえる。さらに、この「250万人」が、シーガイア内の宿泊施設に数日間宿泊し、施設内で飲食をすることまで含めた設定である。


この無謀な設定で、第一勧銀は融資をした。第一勧銀がフェニックスグループに対して持っていた債権は1500億円ともいわれているが、この借金がシーガイア破綻の導火線であったことは明らかである。


たしかにオーシャンドームのような目玉施設が必要だったことはわかる。しかしこの目玉施設が巨額の資金を必要とし、結果としてシーガイアを破綻させていったのである。


佐藤氏はこのオーシャンドームについて「何か造らないと宮崎はだめになる。考えた末に造ったのがオーシャンドームだ。正直、成功する確信があるとは言えなかった。だが、何を造らないよりはましだ。こちらから集めないともう人は宮崎には来ないんだ」と語っている(『みやざきの観光物語』より)。東国原氏が知事になったというだけで多くの観光客が訪れている今の時点からすれば、皮肉だとしかいいようがない。


(たぶん)つづく