学会シンポジウムの告知

再来週の土曜日、早稲田社会学会大会において、「沖縄のローカルとグローバル」と題したシンポジウムを開催いたします。
自分もコーディネーターとして携わっております。当日は司会もやります。

ご関心がおありの方は、ぜひ足をお運び下さい。

第63回早稲田社会学会大会シンポジウム
沖縄のローカルとグローバル
2011年7月9日(土) 13:30〜16:30 早稲田大学戸山キャンパス 36号館382号室


http://www.waseda.jp/assoc-wss/taikai.html


シンポジウム解題  文責:熊本博之(明星大学

 沖縄に関する議論は、特に米軍基地問題に関するものの場合、国家の安全保障などのマクロな視点から語られることが多い。
その中で沖縄のローカルな状況については、戦闘機の騒音や米兵による犯罪に苦しむ住民、米軍基地に反対する人たちの抵抗運動が、あるいは逆に「基地経済」に依存する住民の姿が、ある種カテゴライズされた形で本土に伝わってくる。
そして「沖縄の人たちの苦労はわかるけど、日本の安全保障のためには我慢してもらうしかない。それに沖縄の人たちだって基地がなくなったら困るでしょ」という暗黙の理解が、薄く広く、日本全体に覆い被さっている。


 しかし沖縄のローカルな現状は、当然のことながらもっと複雑で、簡単にカテゴライズされ得るようなものではない。
「日本の安全保障」というとき、その「日本」に果たして沖縄は含まれているのだろうか?
沖縄ではこうした疑問の声が、「沖縄差別」という言葉とともに形をもって現れ始めている。
その背景には、400年前の薩摩藩による琉球王国への侵攻、明治政府による「沖縄処分」、皇土防衛の捨て石となった沖縄戦の悲劇、米軍統治下の時代、そして復帰後も残り続ける米軍基地の存在がある。
2010年4月25日、9万もの人びとが集まった県民大会で、「日本全国で見れば明らかに不公平、差別に近い印象を持つ」と県知事が発言せざるを得ない状況が沖縄にはあるということを、いったいどれだけの「日本人」が理解しているのだろうか。


 一方で沖縄は、グローバルな状況に対してもいやおうなく開かれている。
沖縄にある米軍基地の存在が、アジアの国々にすくなからず影響を及ぼしていることは周知の通りであるし、尖閣諸島をめぐる日中間の問題、北朝鮮による韓国への砲撃問題などが相次いだ2010年後半、沖縄が「最前線の島」としてまなざされたのは記憶に新しい。


 本シンポジウムでは、こうした沖縄のローカルな実情に根ざしつつ、グローバルな環境下にある沖縄の現状にも意識を配りながら議論を進めていく。
そしてこの議論を通して、沖縄に真摯に向き合うための「構え」を、私たちはどうすれば身につけることができるのか、フロアの方たちといっしょに考えていきたい。

報告者および概要

第1報告 安藤由美(琉球大学
「沖縄の社会構造と生活世界―家族とライフコースの視点から」

 沖縄のローカリティを、さしあたりここではグローバル化との相互作用ないし反作用によって立ち上がる、沖縄の社会構造と生活世界と読み替えておく。
そうした沖縄のローカリティの連続性をもたらしている要因として、本土との地理的隔絶や歴史的背景の違いが取り沙汰されやすい。


 確かに、少なくとも本土復帰まではそれもあてはまっただろう。
しかし、沖縄が本土に復帰し、さらにメディアや交通手段が一段と発達した現在では、それらはもはや説明力を失っていると言わざるを得ない。
むしろ、沖縄的生活様式を保持させているメカニズムは、本土と沖縄のダイナミックな関係性に求められるべきだろう。


 このような問題意識に基づき、本報告では、家族構造と意識および人々のライフコース経験の観点から、それらが沖縄と本土との関係の構造によって、どのように形作られてきたかを、報告者がこれまでにかかわってきたいくつかの調査結果(沖縄総合社会調査2006、那覇都市圏過剰都市化調査など)を用いながら、沖縄のローカリティについて描写してみたい。


第2報告 与儀武秀(沖縄タイムス記者)
「沖縄から近代国民国家を見る―新聞連載「御取合(ウトゥイエー)400年」を担当して」

 2009年が薩摩侵攻400年、琉球処分130年の大きな歴史的節目にあたることに伴って、沖縄タイムスでは2009年初めから毎週1ページ、通年企画として「御取合(ウトゥイエー)400年 琉球・沖縄歴史再考」を連載した。
 
 同連載では、近世琉球、近代沖縄の歴史的経緯を踏まえ沖縄の歩みを紹介することを意図し、テーマごとに、第一線で活躍する歴史研究者や文化関係者に原稿を執筆していただいた。
その連載を担当した経験から、今日の沖縄社会を取り巻く現状や将来像を考える上でどのような歴史認識や社会像が垣間見えるか、お話しさせていただきたい。


第3報告 多田治一橋大学
「3.11以後の沖縄論―平時と軍事のグローバルな二重性―」

 震災による福島の原発事故で、全国の地方の原発への危機意識が高まってきた。
他方で沖縄の基地への注目度は下がっているが、むしろこの局面で見えてきたのは、地方の原発と沖縄の基地の役割分業であり、エネルギーと軍事の安全保障体制の地理的配分である。


 そもそも原発は、冷戦下の核開発競争の中で、「原子力の平和利用」として日本にも導入された。他方、非核三原則のもと、米軍統治期の沖縄には核兵器が持ち込まれていた。
原子力」と「核」の区別は、本土と沖縄の地理的区分と対応していたのである。


 次に、海外を見てみよう。観光と軍事が並立するグアム、ハワイ。核実験の犠牲となったマーシャル諸島
合衆国やオーストラリアでも、核実験やウラン採掘で健康被害を受けた人は数多い。
それらの渦中に多数いるのは、“Indigenous Peoples”、「先住民」である。

 合衆国のカジノ観光に見られるように、ポジティブな観光とネガティブな軍事・核、両方に先住民は面してきた。
まさに、沖縄の二重性と重なる。平時と軍事の二重性、グローバルな先住民という射程から沖縄をとらえ返し、3.11以後の日本を考えるヒントを得たい。