産まれました!

ようこそ!

2011年4月18日午後5時53分、私たち夫婦の第一子である女の子が無事に産まれました。
体重は2925gとちょうどいい具合に育っていました。


今日はちょうど授業もなかったので、朝の9時くらいから病院でつきそっていました。
ついたときには既に陣痛がはじまっており、そのあまりに辛そうな様子に最初はとまどいながら、腰をもんだりさすったり。
ツマもせっぱつまっているので「何をしてほしい」というニーズを示すこともおっくうな状況。
自分もよくわからないままにひたすら腰の辺りをさすっていました。
(産まれたあとで聞いてみたところ、さすっていたのはとてもよかったとのこと。ご参考まで)


激しい陣痛が続くものの、なかなか子宮口が開かず、時間ばかりが過ぎていきます。
その間もツマは、これまで見たこともないような表情で、聞いたこともないような声をあげてうなっています。
助産師さんによれば、ツマは「おとなしい」ほうなんだそうですが、見たこともないし、経験することもできない男性の自分としては、ただとにかく早く陣痛が終わってほしい、はやく子どもに出てきてほしいと願うよりほかありませんでした。


ようやく子宮口が開き、分娩室へ。
そこからもずっと時間がかかるのだろと覚悟していたのですが、その後は意外にも早かった。
結局、30分くらいで出てきてくれました。

「頭が見えてきましたよ〜」から、頭が出て体も出てくるまでの一連の流れが予想以上に早く、産まれた瞬間は感動とか感激とかいうよりも、「あ、出てきた」って感じ。
続いて「こんな顔だったのか〜」と顔を確認し、性別を視認したところで「おぎゃー」という鳴き声が。
その間、何秒くらいだったのかは覚えていません。
気がついたら、涙が出ていました。


これまで苦悶の表情を浮かべていた妻は、産まれた瞬間から安堵の表情に。
いつも通りのコミュニケーションがとれるようになって、ようやく自分も安心しました。


これまで姪っ子2人をはじめとするいろんな赤ちゃんを見てきましたが、自分の子どもというのはやはり特別ですね。
見た目がかわいいとか、そういう水準ではなく、ただただ存在としてかわいい。
お腹の中にいたころは、というか産まれるその時まで、この子が自分たちの子どもとしているという状況がうまく想像できませんでした。
でも産まれた瞬間から、この子が自分たちの子どもとしているということが、当たり前になったのです。
この子がいない、という状況が想像できなくなってしまったのです。


僕たちの子どもとして産まれてきてくれた娘に感謝。
妊娠初期から出産にいたるまで適切にサポートしてくれた東芝病院産婦人科のみなさんに感謝。
そして、元気な子どもを産んでくれた妻に、最大の感謝を!


天(てぃん)からの恵み 受けてぃ此(こ)ぬ世界(しげ)に
生まりたる産子(なしぐあ) 我身(わみ)ぬむい育(すだ)てぃ
イラヨーヘイ イラヨーホイ
イラヨー 愛(かな)し思産子(うみなしぐわ)
泣くなよーや ヘイヨー ヘイヨー
太陽(ていだ)ぬ光受きてぃ
ゆーいりよーや ヘイヨー ヘイヨー
まさ勝さあてぃ給(たぼ)り


夏ぬ節(しち)来りば 涼風(しだかじ)ゆ送(うく)てぃ
冬ぬ節来りば 懐(ふちゅくる)に抱(だ)ちょてぃ
イラヨーヘイ イラヨーホイ
イラヨー 愛(かな)し思産子(うみなしぐわ)
泣くなよーや ヘイヨー ヘイヨー
月ぬ光受きてぃ
ゆーいりよーや ヘイヨー ヘイヨー
大人(うふっちゅ)なてぃ給(たぼ)り


雨風(あみかじ)ぬ吹ちん 渡り此ぬ浮世(うちゆ)
風(かぜ)かたかなとてぃ 産子(なしぐわ)花咲かそ
イラヨーヘイ イラヨーホイ
イラヨー 愛(かな)し思産子(うみなしぐわ)
泣くなよーや ヘイヨー ヘイヨー
天の光受きてぃ
ゆーいりよーや ヘイヨー ヘイヨー
高人(たかっちゅ)なてぃ給(たぼ)り