10日たって

あの地震から10日がたちました。
地震がおきたとき、自分は身重のツマといっしょに、自宅から徒歩で通えるところにある保育所をまわっていました。
少し近くを探して、ようやく保育所がみつかったとき、急にトタンがガタガタとなる音が。
ここは建物が古そうだね、などといっていたのですが、どうも様子がおかしい。
すぐに地震だと気がつきました。

揺れがおさまり、しばらく余震に注意してその場にいましたが、とにかく自宅の様子が気になるので歩いて自宅に戻りました。

大井町駅には駅やデパートから避難してきたお客さんであふれています。
踏切もおりっぱなしだったので、なんとか歩道橋をのぼって線路をわたり、帰り着きました。
幸いにも何の被害もなく、いくつかモノが落ちていたくらい。
マンションの1階というのは地震には強いんだな、と安堵しつつテレビをつけると、東北地方の太平洋側で震度7の大地震がおきていました。
大津波警報」という、これまでみたことのない警報も出ています。
しばらくNHKをみていると、津波の映像が生中継で流れてきました。
宮城県手取川津波が逆流していく映像。
津波って川を逆流することもあるのか−、とのんきにみていると、その津波が堤防をこえてあふれ出し、住宅を、お店を、畑を、飲み込んでいく。

このときはじめて、この地震で何がおこったのかを実感しました。



そのあとの経過はみなさんもご存じの通りです。
今は原発が心配なことになっています。
原発については、自分も講義で扱うこともあり、その危険性についてはそれなりに知っているつもりでした。
しかし、ここまで危険な状況になるとは、正直なところ思っていませんでした。
幸いにも多くの方たちの、身を危険にさらしながらの尽力のおかげで、いまは少しだけ、危機を脱しているようです。
というか、そう思わないと、やりきれません。
原発を抱えている地域の人たちが「日本の原発は世界一安全だ!」と言い張る気持ちが、実感としてよくわかります。


地震がおきる前までは、子どもが産まれたらいろいろと大変になるだろうな、ということしか考えていませんでした。
しかし今では、放射能のこと、インフラのこと、電気のことなど、もっといろんなことを心配せざるを得なくなりました。
まだ出てこないでおくれと、いつもお腹に語りかけています。


まだまだ被災地では、大変な日々が続いています。
東京ではすでにほぼ取り戻せた「日常」が、はやく被災地においても訪れることを、祈らずにはいられません。