どこまで責任をおえるのか?


首都大学東京(本部・東京都八王子市)は6日、「ドブスを守る会」と称して女性の映像を動画サイトに投稿していた男子学生2人の指導教員だったシステムデザイン学部の久木元(くきもと)拓・准教授(43)を諭旨解雇処分にしたと発表した。
大学側に虚偽報告するなどしていたとしている。

毎日新聞7月7日朝刊

この問題を起こした学生に同情の余地はないのだけれど、指導教授を解雇する必要はないでしょう。


たしかに事前に動画をみており、公開を止めなかったことは非難されるべきだけど、それが解雇にまでつながるというのは行き過ぎ。
減俸が妥当。


こんなことで解雇されていたら、あぶなっかしくて大学生の教育なんてできないですよ。
ましてや学生の自立性を涵養するなんてこと、できません。



大学生が不祥事を犯したことで、大学が謝罪するという場面がよくみられるようになったのはいつの頃からだっただろうか。

大学が大学生の生活のすべてを把握し、管理するなんてできるわけがない。
そんなことは世間の誰もがわかっているはずだけど、メディアは責任をとるべき主体、有り体に言えば謝罪する被写体を求めているので、結果として大学が謝罪させられる。

うちの大学でも、かつてある学生が刑法犯罪をおかしたときに、メディアの側から「いつ謝罪会見するんだ」としきりに問い合わせがあったと聞いています。


今回の准教授の解雇も、こうしたメディアの(ひいては「世間」の)反応を過敏に受け取った大学側が、責任主体を准教授にし、責任をとらせただけという感じがします。


こういう場合、たいていは教授会での議論があるはずなんだけど、実際どんな感じだったんだろうか。

石○知事の圧力があったんじゃないかと勘ぐってしまいますね、大学が大学だけに。