豊田市と辺野古

先日、といいつつすでに二週間も前なのですが、とある学会の研究例会で豊田市の話を聞いてきました。
そこで思ったことを備忘録代わりに。


豊田市とは、いわずと知れたトヨタ企業城下町。当日のレジュメからその歴史を振り返っておきます。


豊田市の前身は、かつて養蚕製糸業で栄えた挙母(ころも)町。
その挙母町が昭和初期の不況で存亡の危機にたったとき、トヨタ自動車工業の工場を誘致することで危機を乗り越えたときから、挙母町はトヨタとともに発展していきます。
1951年には挙母市となり、56年には高橋村とも合併しています。
自動車産業の興隆にあわせてトヨタも、挙母市も発展していくなか、58年にトヨタと密接な関係にあった商工会議所から市名変更の請願書が提出され、市を二分する議論の末に59年1月、挙母市豊田市に名称を変更し、豊田市が発足。
挙母の住民としては、市名を変えさせられた屈辱と、トヨタに助けてもらったという恩義との間で複雑な思いであったとのこと。
豊田市はその後も周辺自治体を合併して拡大の一途をたどり、「平成の大合併」においては、2005年に周辺6町村と合併。
なお人口は42万人強。そして男性労働者人口のうち30%がトヨタ本社勤務、26%が関連会社勤務。
まごうことなき企業城下町です。


はじめて聞いたのですが、豊田市では、
・漢字の「豊田」=行政
・カタカナの「トヨタ」=企業
・ひらがなの「とよた」=市民・企業・行政の全体
と位置づけたうえで、新しい都市像として「ハイブリッド・シティとよた」というキャッチーなスローガンをたてているとのこと。
「人と環境と技術の融合(ハイブリッド)」による低炭素社会への取り組みの推進なんてことを考えているようです。


さて、この大不況により、トヨタは大変な減収減益となりました。
しかも、プリウスのリコール問題も抱えており、しばらくはあまりいい方向にはいかなさそうです。
このトヨタの減益は、ストレートに市財政を直撃します。
2009年度の歳入において、市税はなんと425億円の減だったそうです。
グローバルの水準における変化が、地域社会を直撃しているわけですね。


ところで、報告で紹介されていた都丸泰助ほか編『トヨタと地域社会』(大月書店、1987年)によれば、豊田市では「伝統的諸関係と企業社会の論理に圧倒・挟撃されており、市民活動的な自治が力強く展開する状況にはなかった」そうです。
ようするに、古くからの地域社会の「しばり」と、トヨタという企業の「しばり」とが相俟って、市民的な活動が発生する余地がかなり限られていたということです。
トヨタという企業への依存が、地域から市民活動の力を奪い、そしてそのトヨタは、市民によるコントロールの外にある。
地域社会としては、かなりいびつな構造になっているわけです。


なんだか、豊田市はいろんな意味で辺野古に似てるなとちょっと思いました。

挙母町がトヨタによって存亡の危機を救われたことも、基地を受け入れたことで寒村からの脱却を図ることのできた辺野古と似ている。
もっとも辺野古の場合、米軍によって強制的に基地を押しつけられたという側面はあるけれど。

そして辺野古にあっては、米軍基地という住民のコントロール外の存在が辺野古を規定している部分はかなり大きいですし、地域社会の「しばり」は凄まじいものがあります。


だからこそ、辺野古にも、豊田市にも、市民活動的なものが生まれにくい。
そうだろうなあと思うわけです。


この両者の共通性を、なんらかの概念を用いて説明し、理論化していくことが自分たちの仕事なのですが、とりあえず今日はメモだけ。


みなさまのご意見、ご感想、お待ちしておりますm(_ _)m