名護の、夜明け

その瞬間は突然に、そしてあっけなく訪れた。

辺野古にある稲嶺ススム候補者の事務所。
QABのカメラマンが、事務所に持ち込まれている古いブラウン管テレビの画面に焦点を当てる。
午後8時。「劇的 ビフォーアフター」のオープニング画面の上に、ニュース速報の文字が出る。


まさか、そんなに早く出るとは思っていなかったので、みんな虚を突かれて画面の文字を見る。


「沖縄・名護市長に稲嶺進氏が当選。普天間基地辺野古移設に反対の新人」


しばらく、誰も声をあげない。
誰かが「勝った」と声を上げる。
その瞬間、喜びが、爆発した。


まだ半信半疑の状態のなか、それでも拍手はなりやまない。
指笛が鳴り響く。
誰も彼もが抱き合い、そして泣いていた。
事務所にずっとつめていたK君が、まだ当確はでないだろうと踏んで自宅に待機していた支援者に電話をかける。
K君の声がうわずっている。
「勝った、勝ったよ!早く来てください!」


普天間移設の是非を問う名護市民投票で反対票が過半数を超えたのが1997年12月21日。
それから、12年以上たったこの日、普天間移設に反対してきた人たちは、ようやく喜び合うことができたのである。


事務所には次々に支援者が集まってくる。
その喜びは、13年前からずっと反対の意思を示し続けてきたNさんが到着したとき、最初の頂点を迎える。
辺野古に通い始めた最初の頃から、いろんな話を聞かせてくれたNさん。
この選挙が、勝っても負けても最後の闘いだと決め、優れない体調を押してマスコミの取材を受け続けたNさんが、泣いていた。
ああ、本当に勝ったのだと、ようやく実感した。
そして、泣いた。


事務所には、マスコミが殺到していた。
事務所の外には、マスコミのカメラに映らないようにするため、数名の住民がしずかに祝杯をあげている。
そんな住民が1人、2人と事務所に集まってくる。
みな一様に、安堵の表情を浮かべていた。


この選挙は、普天間移設のことだけが問われていたのでは、決してない。
もちろん、普天間は重要な争点だ。
だけど、名護市民にとって、そして辺野古の人たちにとって、普天間と同じレベルで重要だったのは、公正、公平な名護市政の実現であり、辺野古の行政制度の民主化であった。
一部の人たちにしか利益がいかない名護市の、辺野古の現状への不満が、稲嶺氏の当選を後押ししていたのは確実だ。


これで名護は、新たな一歩を踏み出すことができた。
辺野古も大きく変わっていくだろう。
そのことこそが、この市長選挙の最大の成果だと思う。


普天間の移設がどうなるかはわからない。
だけど、ここで辺野古が変わっていけるのなら、これまで声を上げることのできなかった人たちが意見を言えるようになるのなら、それだけでもこの選挙で勝ったことの意義は大きい。


まだまだ課題は山積みだ。
でも、最初の一歩は踏み出せた。
「劇的」ではないかもしれないが、今日から辺野古は、昨日までのビフォーに見切りをつけ、ついにアフターにはいったのだ。
今日はそのことを、ただ素直に喜びたいと思う。
2002年の市長選挙を手伝って以来、通い詰めた辺野古で、ようやく今日、嬉しさを感じることができたのだから。