我が師の恩

あと4年くらいで小学生かぁ・・・

月曜日に東京に戻ってきました。
戻ってきたとたんの大寒波には閉口しましたが、昨日は南国宮崎でも雪が降ったようで。
妹からは「雪が積もってた」といって、うっすら雪がかかっている自宅の庭の写真がおくられてきました。
うっすら雪がかかっただけでも、我々宮崎県民にとっては「積もった」なのです。


宮崎で雪が積もったという記憶は、小学校のときまでさかのぼります。
その日は授業を一時お休みにして、校庭に出てぐっちょぐちょの雪を丸めたり投げたりして遊んだ記憶があります。
そのときも、たぶん「うっすら」積もっていただけだったんだろうな〜


今回の帰省では、小学校6年生のときの担任の先生に久しぶりに会ってきました。
これまで年賀状のやりとりは続いていたのですが、先生も引退されたのを機に、久しぶりに会おうということになったのです。


その先生(I先生)は、たいへん有名な先生で、とにかく怖くて厳しい先生でした。
身体は小さいのに声は大きく、体罰も当たり前。
例年6年3組の担任をされており、当時は5年から6年へは持ち上がりだったので、5年3組に配属?された時点で、翌年はI先生のクラスになるであろうことはほぼ確定でした。
ただ、理不尽な怒りかたをするわけではなく、むしろイメージ先行の感じではあったのですが。


その先生、怖いことでも有名でしたが、しょっちゅう生徒の家に「家庭訪問」と称して飲みに来るというのでも有名でした。
自分のところもご多分に漏れず、うちの父親と気があったということもあり、何度も自宅に先生がきていたのを覚えています。

また、その際に作文の指導があったことも覚えています。
いま、曲がりなりにも研究職についているのは、この当時の厳しい作文指導があったからだと、これは本当にそう思っています。
主語と述語の関係とか、接続詞の重要性など、作文の基本はここでたたき込まれました。


今回もその再現ということで、自宅にご招待しました。さすがに作文指導はありませんでしたが(^^;)


久々にお会いした先生は、予想以上に変わっていませんでした。
当時、自分には50代に見えていたのですが、まだ40になったばかりだったのだそうで、いまも60代前半ですから、元気そのもの。
当時のことを思い出しながら、いろんな話をしました。


やはり、大人になってから会うと、いろんなことが客観的に見えてきて楽しいですね。
主観性バリバリの小学生当時は、どうしても腑に落ちないことがたくさんあったのですが、今聞いてみると納得できることも多い。
また、どうしても相性の悪かった先生や、カリスマ性がありつつ、どこか危険な感じのする友人について、先生も同様の印象をもっていたことを知り、当時の苦々しい思いが少し解放された気もしました。


まあ、とにもかくにも、こんな先生は今後ぜったいに出てこないでしょうね。
体罰もダメだし、生徒の自宅にいって酒を飲むなんて絶対無理。
そういう先生だったからこそ得られるものも多いと思うのですが、サービス業化した現在の学校ではそこまで先生に余裕はないですし、下手をすれば訴えられます。


やはり当時は、学校ないし学校の先生に対する社会的な許容の度合いが高かったんだなと思います。
特に宮崎では、地元の小学校にいく以外の選択肢はほぼゼロでしたから(選択肢としてあったのは宮崎大学の附属小学校だけです)、そこにいくしかないんですよね。
だから、ある意味ではあきらめるよりほかなかったわけで、それが翻って学校への信頼という方向につながっていたのかもしれません。
信頼しないと、不安でしょうがないですからね。


またお会いしましょう、先生!今度はいきつけの「てっちゃん」で奢って下さい!