の美術

「続きは次回」といっておきながらずいぶんと時間が・・・


14日の「ロートレック・コネクション」に続いて翌15日は目黒美術館にいってきました。
その前日、つまりは14日の午後に出席していたとある学会の活動委員会で、目黒美術館で開催中の「‘文化’資源としての<炭鉱>展」のことが話題になり、自宅から自転車でいける距離だったので夫婦で運動がてらいってきました。


この<炭鉱>展、かなり充実しています。
炭鉱を題材とした、ないしは炭鉱でうまれた作品の展示だけでなく、「ぼた山」の間に炭鉱住宅(炭住)がならぶ炭鉱の風景を再現したインスタレーション、炭鉱をテーマとした全15講座にわたる「夜の美術館大学」、そして「ポレポレ東中野」との共催で実施している炭鉱が題材となっている映像作品の上映と、かなりのボリューム。


なかでも膨大な情報量をもってせまってきたのは、「Part1<ヤマ>の美術・写真・グラフィック」
正直、美術作品としていいものがあるかといえば、そうとはいえないところがあります。
むしろここに展示されているのは、炭鉱がどのように人びとに経験されてきたのか、その証拠資料のようなもの。

特に圧巻だったのが、自身も筑豊で炭鉱夫として働いていた山本作兵衛氏の「筑豊炭鉱絵巻」。
山本氏の作品についてはコチラにあるとおり、まあ稚拙なのですが、芸術性はこの作品の本質ではありません。
そこに描き出されている炭鉱での作業風景、炭鉱町の風情、そして絵とともに書き記されている文字情報、これらすべてが一体となって「炭鉱」を現代によみがえらせています。


炭鉱については、「青春の門」に描かれているような男くさい世界、「フラガール」で描かれているような「一山一家」的な絆の強さ、といったイメージしかありませんでした。
そのイメージは間違いではなかったと思いますが、しかし実態はもっと奥深い。
炭鉱で働いていた男女のたくましさは、想像以上のものでした。
生きるって、すごい。


人間ってすげーなー、という、底力のようなものを感じさせられる美術展でした。
社会学者としては、その背景にある社会構造に目を向けるべきなのかもしれませんが、やはりリアルな体験としての「炭鉱」を知り得ない現代の私たちとしては、まずそのリアルに少しでも近づくことが必要で、それがこの美術展によって大きく近づけたような、そんな気がしています。