小さな薬屋のおはなし

今から20年前、品川の下町に小さな薬屋が開店した。
まわりには薬屋もなく、コンビニも薬を扱っていなかった時代。
女性店主は薬剤師の資格を持っていたが、調剤業務をやらなくても十分にやっていけた。
近所中に響き渡るほどの笑い声とともに、薬屋は繁盛した。


開店してから5年目、大学進学のために宮崎から上京してきた少年が、この薬局で働き始めた。
バイトをしていた高校時代の先輩のあとを継いだのだ。


その頃から、次第にまわりに薬屋ができるようになってきた。
準大手のドラッグストアも開店した。
そこで女性店主は、まず手始めに近所に支店をつくり、そこを調剤薬局にした。
少年、いや、その頃には二十歳を超えていたので青年は、その薬局でも働いた。
とりあえずパソコンがつかえたからだ。


その後、いくつかの事情があって支店を手放した店主は、もともとの薬屋で調剤業務を始めた。
それにともなって店名も「くすりの○○」から「○○薬局」へとかわった。


ちょうどそんな頃に、青年は大学を卒業し、故郷に帰った。
が、その1年後、再び青年は東京に舞い戻る。
そして再び薬屋で働きながら、大学院に進学し、勉学を重ねていった。


その頃には調剤業務がメインになっていたので(ドラッグストアに客をもっていかれていたのだ)、病院が閉まっている土日は暇だった。
青年は、土日に積極的に勤務し、店番をしながら論文を読んだり、書いたりした。
修士論文の半分以上は薬局のパソコンで書いたのではないかと思う。


一方、はじめは順調だった調剤業務も、近くにあった医院の患者数が減少したり、都立病院が移転したり、度重なる調剤算定額の削減もあって、次第に利益があがらなくなっていった。
さらに、開店当初から店を支えてくれていた主婦が、引っ越しにより退職してしまった。
女性店主のお母様が体調を崩し、介護が必要になったことも大きかった。
そして何より、店主も還暦を迎え、さすがにあちこち体がいうことをきかなくなってきた。


母親の介護のために店を離れることも多くなり、さりとて別に薬剤師を雇えるほどには売り上げは見込めない。
ついに女性店主は、閉店を決めた。
この7月くらいから閉店を検討し始めたところ、区画整理による移転先を探していた美容院が、すぐにでも後に入りたいといってきた。
そのため、8月いっぱいで店を閉めることになった。


青年が閉店をきかされたのは8月の上旬。はじめは半信半疑だったが、一気に閉店へと加速していった。
ちょうどそんな頃、お店のクーラーが故障した。
修理業者を呼んだが、あまりにも古くて部品がなく、修理不可能とのこと。
閉店を予想していたかのようなクーラーの故障が、閉店にいっそう実感をもたせた。


薬屋は8月31日に閉店。それから一週間かけて、棚卸しや店の片付けをした。
その間、たくさんのお客さんが来店しては、いろんなものを差し入れてくれた。
クーラーが壊れていることもみんなしっているので、冷蔵庫には大量のアイスクリームとジュース類がたまっていった。


そして昨日、片付けもあらかた終わり、実質的に閉店を迎えた。




この薬屋がなければ、僕は大学院に進学するために東京に戻ってくる決心はつかなかったと思う。
そして、この薬局じゃなければ、仕事をしながら勉強をするなんて自由もきかなかっただろう。
それに、ご近所の方たちとふれあうことも、この薬局なしにはありえなかった。
いろいろあったけど、いい職場だった。


社長、20年間おつかれさまでした。
通販ショップの店長や雇われ薬剤師としてこれからも働くようですが、
まずはお体をお大事に。
そしてこれからもよろしくお願いします。