納税者共同体

しばらく前に出た研究会のあとの飲み会で、共同体を形成するための絆がどんどん細分化され、見えにくくなっているというような話で盛り上がった。


社会学者が3人、いや2人集まれば、必ずでてきそうな話題だ。


そのときはタイミングを逸してしまい話さなかったのだけれど、僕は1つ、有力な絆が現代の日本にあるんじゃないかと思っている。


税金だ。


血税といったほうがよりわかりやすいかも。


税金を払っている人たちの共同体としての国家。
税金を払っている人は、税金を集め、使う主体である国家が行う政策(=お金の使い方)に対して、文句をいう権利がある。
そういう関係性のもとで国家を批判することは、重要なことだ。


でも、どうもその批判は、国家に対してというよりも、税金を無駄遣いさせた人に対して、向けられているような気がしてならない。


「国民の血税を無駄にしている」という言い分がなりたつところに、人びとはこぞって群がり、無駄遣いをさせている対象にたいして、容赦ないバッシングを浴びせかける。

自分が払った税金を無駄に使っているのは許せない、という大義名分がなりたつからだろう。


少し前の話で恐縮だが、イランで誘拐された横浜国大の学生が救出されたことを受けて、自民党の笹川堯衆院議院運営委員長は6月17日、政府が渡航の自粛を要請しているところに行った人の救出に要した費用は本人の負担とすべきだとの考えを自民党役員連絡会で披瀝している。

このニュースはYahoo!に掲載され、コメントがつけられるようになっていた。

今はもう見ることはできないのだが、コメントの大多数は笹川氏の意見に賛同するものだった。


だがしかし、国民を守ることは、国の義務なんじゃないのだろうか。
こういう危機のときのみならず、国は国民を、さまざまに守っている。
警察官の給与が税金によって賄われていることもそうだし、電気の送電や下水設備などの整備もそうだろう。
だから納税者は、税金を国に納めるのだ。もちろん強制的に取り立てられるので、納めたくなくても納めざるを得ないのだが、本来的にはこうした理由のもとで納税しているのだといえよう。

笹川氏の発言は、「国民を守る」という国の義務を放棄しますよといっているようなものである。

それを支持することって、実はかなり危険なことなんじゃないのか。


自分の払った血税を無駄遣いされている、というだけの大義で、「同胞」を叩き、ちょっとしたカタルシスを味わう。
そのことの代償は、ずいぶんと大きなものになるんじゃないだろうか。


ネタバレで申し訳ないが、あの大ヒット映画「相棒」のモチーフになっているのは、イラクで拉致され、殺害された香田証生さんの事件だ。

あのとき、小泉とマスコミが煽り、多くの日本人が行った「自己責任」バッシングへの批判が、作品を貫いている(政治家の陰謀というオチになってしまったのは残念だけど)。

相棒を観て感動した340万人の観客は、笹川氏の発言を聞き、何を思うのだろう。