沖縄学講座

もうGWも終わってしまったのに、連休に入る前の話題で申し訳ない限りですが、4月25日、早稲田大学沖縄学講座にて「基地が沖縄にもたらしたもの―名護市辺野古区を事例に」と題した講義を行って参りました。レジュメはコチラのresumeコーナーにおいてあります。


前回(1月)はH氏とのジョイントセッションでしたが、今回はソロ・ライブ。90分のオンステージです。


今回のポイントは、1959年に米海兵隊基地キャンプ・シュワブを受け入れた辺野古において、基地が地域の社会構造に深く深く埋め込まれたことによって、現在、新しい基地負担である普天間代替施設の受け入れを拒絶できずにいることを、辺野古の歴史的経緯に基づきながら説明することで、在沖米軍基地問題の複雑な位相を伝えることにありました。


まず、日本電波ニュース社のDVD「基地はいらない、どこにも」より、普天間基地移設問題に関する部分だけをセレクトして15分ほど上映。このDVDは運動メインの内容で、ややドラマチックに描きすぎているきらいはあるのですが、この問題の経緯を実によくまとめてあるので、まずは問題の全体を理解してもらうために上映しました。レジュメではほとんど反対運動については触れていないので、それを補う意味もありました。


続いてレジュメによる講義。話しているばかりだと単調なので、パワーポイントで地図や写真を提示しながらの講義でした。
ちゃんとしたペース配分をせずに講義に挑んだのですが、途中で「これはジャストで終われるはず」という感触を得て、実際に予定通りジャスト10分前に終了。レビューシートを書いてもらうための十分な時間を残すことができました。
これはきもちいいっすね。


講義が終わった後には、何人かの学生が質問に来てくれたし、拙編著「沖縄の脱軍事化と地域的主体性」も2冊売れました。


前回、旧住民による意思決定の独占についての話を中心に据えたところ「旧住民は悪いやつだ」的な反応が返ってきてしまったことへの反省から、今回はその話については触れず、辺野古、および沖縄の基地問題というのは構造的な問題なのであって、誰か悪者がいるわけではないということを、意図的に何度か繰り返して話をしました。


それが功を奏したのか、レビューシートのコメントを見る限り、今回はおおむね、こちらの意図どおりのメッセージが伝わったようです。

やってよかったな、と思わせてくれたコメントをいくつか。

「この問題は決して辺野古だけの問題でも沖縄だけの問題でもなく、日本の問題だと思います。全く知らなかった自分が恥ずかしく思いました。」

「私の今までの知識は「日本は軍隊を持たずアメリカに頼らなければならない」という国レベルの視点であったことに気づかされました。地域の視点を考えさせられました。」

「私は沖縄に住んでいて米軍の飛行機の音がキライだったし、海を壊されるのもすごく嫌でした。でも同じ島にいながら、そのことに直結する辺野古の問題について深く考えたことはなかった。自分なりに考えていきたいと思います。」

「先生の辺野古の人々に対する思いやり、気遣いが感じられました」

「私もこの4年間、沖縄の基地をどのようにしてなくすかを考えていこうと思います」

あと、自分が担当した回の前の回は琉球芸能がテーマの楽しい講義だったようで、そのギャップに沖縄学の多様性を認識させられたというコメントもあり、沖縄学講座に対しての寄与もあったなと嬉しく思ってます。


一方で反省点ももちろんありました。


1つは、基地問題の複雑さを強調しすぎたあまり、悲観的にさせてしまったところ。
「複雑だなと思いました」で終わっているコメントも多かったんですよね。
こちらとしても、特に解決策については触れなかったので、それがよくなかったのでしょう。
まあ、解決策などというステキなものはなかなか見あたらないのですが・・・


もう1点は、これは僕のことを知っている院生からのコメントで初めて気づかされたのですが、今回の講義ではまったく社会学について触れていなかったという、自分でもびっくりの事実。
社会学を専攻しています、ということすら言わなかったような気がする。。。
思い返してみれば、レジュメを準備しているときも、「社会学」はまったく意識していませんでした。
どうやれば辺野古のことが、沖縄の基地問題が、ちゃんと伝わるだろうか、ということばかり考えていたんですね。
これは社会学徒として如何なものかと反省する次第。


講義の後の飲み会には、十数名もの方に来ていただけました。これもまた嬉しい限り。
沖縄についてざっくばらんに語ることのできる場が早稲田にあるということ、そのことが如何に恵まれていることなのか、改めて実感しました。


みんな、愛してるぜ(はあと)