Sさん、逝く 

2008年2月7日の光文字

 2008年2月7日午前9時21分、沖縄タイムス記者Cさんより携帯に電話。この日の朝、Sさんが亡くなったというしらせだった。

 入院のことを知ったのが2日前。あっという間にSさんが亡くなってしまった。その早さに、感情がついてこない。悲しさがおそってこない。

 その日は朝からいろんな人に会い、いろんな話を聞いた。ずっとしゃべりっぱなし、聞きっぱなしのまま、夜8時、お通夜にいく。Sさんのご自宅の階段を上る。去年の夏にこの階段を下りてきたときには、こんな形で上ることになるなんて思ってもいなかった。

 Sさんの顔は、とても穏やかで、死に化粧がほどこされていたからであることはわかっているのだけど、2日前に見たときよりも元気そうで、今にも「おまえ何いってんの。それは違うだろ。あのね・・・」と、いつもの少し横柄な口調で話し出しそうで、まったく実感がわかないのだ。

 ご家族も、覚悟はできていたのであろう、いつもとかわらない様子で振る舞っており、やっぱりSさんが亡くなったなんて、信じられないのだ。

 だから、ちゃんと泣くことができたのは、部屋にもどってから、Sさんの思いを受け継いでゆけという友人の言葉を携帯電話越しに聞いたとき。

 このとき、ものすごい勢いで悲しみが押し寄せてきて、一日中どこかにいってしまっていたまっとうな感情があふれ出して、号泣した。

 Sさんと出会ったからこそ、僕はこれまで、辺野古のことを調べ続けることができた。僕の研究に意義を認め、さまざまに協力してくれたからこそ、辺野古を対象とする論文や原稿を書き、学会で発表し、授業で講義することができた。

 このSさんの恩に報いるためにも、僕は辺野古の問題を研究し続ける。そして辺野古の問題を少しでも広く世に知らしめていく。そうすることで、Sさんは常に、僕と共に、ありつづける。

 島袋秀雅さん。享年59。あなたの短すぎる人生は、あなたと深く関わったすべての人によって受け継がれ、広められていくことでしょう。その1人として、僕も、あなたの意思を、繋いでいきます。

 合掌。

2008年2月8日 辺野古にて