潔癖な社会−−先取りされる圧力

僕はタバコを吸わないし、タバコの煙も嫌い。

でも、タバコを吸いたい人たちに、あらゆるところで吸っちゃいけないというつもりはない。ご飯たべるところでは正直すわないでいてほしいとは思うけど。

きょう、ヘビースモーカーの友人と話しているときに、喫煙スペースの話になった。

彼曰く、喫煙スペースが日に日に減っていっているのだという。

僕は吸わないのであまり気がつかなかったけど、言われたとおりかつては喫煙スペースだったところから灰皿がなくなってた。

そういえば東京のタクシーは基本、全面禁煙となった。名古屋で全面禁煙になってから半年もたってないのではなかろうか。



この「喫煙者締め出し圧力」、すごくキモチワルイ。

喫煙=不健康、迷惑=悪=締め出し

この等式がキモチワルイのだ。

等式の左2つに何が入っても、「悪」と判断されれば締め出される。「悪」とされたものを排除してできあがった空間は果たして「良」なのかといえばそうでもないだろうに。

ただ、悪いモノは締め出せばよいのだ。潔癖な社会である。

その潔癖さが、とくに潔癖さを求める社会的な圧力と、その圧力を先取りして「悪」を締め出そうとする企業や公的機関の動きが、キモチワルイのだ。

締め出しておけばそれでよし。

その締め出されたものがなぜ「悪」なるものと判断されたのかは考えない。

ただ排除。

その逆パターンとして、再生紙などの「エコ商品」の利用があるということも注意したい。

再生紙=地球にやさしい=良=こぞって群がる

だから偽装再生紙がうまれた、というわけではないが、これが

偽装再生紙=悪=排除

に転じると、偽装再生紙を回収して廃棄、なんていう本末転倒なことになりかねないなと思うと悪寒。

要するに、良い悪いについての判断を社会にまかせてしまっているということなんだろうな、きっと。