早稲田デビュウ

紅顔の美少年が日向の地より都の西北に降り立ったのは1993年の春。

以来、美が抜け落ち、メタボを気にする三十路男となったかつての少年は、2008年のいまも早稲田の杜に居座っております。

この間、足かけ15年。

15年目にしてようやく、30分ほどの時間ではありましたが、200人を超える学生を前に、早稲田の教壇に立ってきました。

いろんな分野で沖縄を研究し、関わり続けている諸先生方が週替わりで沖縄について講義する「沖縄学講座」の、07年度最後の講義を、06年12月に出版した『沖縄の脱軍事化と地域的主体性』の共編者である畠山さんと共同で担当してきたのです。

講義のテーマは書名と同じ「沖縄の脱軍事化と地域的主体性」。自分は、「米軍基地が沖縄社会に何をもたらしたのか?」について、辺野古を事例に講義。

学生たちのレビューシートを読む限りでは、講義自体はおおむね好評だったようで、ほっとしています。

でも、やっぱり、当たり前のことなのだけれど、すべての人に自分の言いたいことが伝わるとは限らないんですね。。。

かつて米海兵隊基地キャンプ・シュワブを受け入れたことにより、辺野古には基地との密接な関係が構築され、その結果、辺野古の住民は、いま新たにつくられようとしている基地に対して反対の声をあげにくい状況にあります。

また、シュワブが地域の「財源」としての機能も持っていることから、古くから辺野古に住んでいる人たち(旧住民)が地域における意思決定を独占するような状況が生まれています。

そういう状況が現在うまれているのは、基地をかつて受け入れたからであり、それゆえに基地によっては沖縄はほんとうの意味での「豊かさ」を手に入れることはできない・・・そういう話をしてきました。

そうしたら、「旧住民は悪いヤツだ」的な感想をかいている学生が、少なくない数いたのです。

講義のなかで、自分は、犯人探しをしたかったわけではないのです。かつて辺野古がシュワブを受け入れたことは、当時の状況からすれば致し方ないことだし、現在、旧住民の方たちが基地受け入れの方向に傾いているのも、私利私欲のみに基づいた判断ではない。

問題は、米軍基地を沖縄になんとか置いておきたいがために、基地を財源化している日本政府にあり、沖縄が抱えている問題に対して関心を持とうとしない多くの人びとにある。

そういう話をしたつもりだったのです。

いま、話したことを振り返ってみると、いろいろと反省しなければならないところがたくさんあります。特に、犯人探しをしたいわけじゃない、問題は沖縄をとりかこんでいる社会構造のほうにあるのだということを、最初にもっと強調しておくべきでした。

反省。。。

しかしそれでも、辺野古の住民のことを早稲田の学生たちに伝えることができたことは、よかったなと思っています。

辺野古で反対運動をしている人たちのことについては、彼ら自身が情報発信しているし、マスコミも適宜報道しているので、調べようと思えばだいたいのことはわかります。でも、その情報なかに、辺野古の住民の抱えている苦悩はほとんど含まれていません。

僕は、これまでの研究を通して、そうした住民の苦悩を聞き取ってきたつもりです。だから僕には、その苦悩を伝えていく義務があると思っています。

今回の講義は、その義務を果たすいい機会でした。

また機会があれば、今度はもっと適切に、辺野古の、名護の、沖縄の抱えている問題を、学生たちに伝えたいですね。

乞う、リベンジ!