『雨宮処凛の「オールニートニッポン」』

かつては右翼パンクバンドで活動し、右翼に見切りをつけたあとは現代の貧困問題に取り組んでいる雨宮処凛が、すべてニートのスタッフによって作成されているネットラジオオールニートニッポン」のパーソナリティをノーギャラで引き受け、そこでのゲストとのトークを書籍化した本。


ゲストは、フリーターやニート問題に関わっているNPOの代表や、ゲリラ的なイベントをしかけて社会に抵抗している人たちなどなど。雨宮さんが中学の頃からファンだったという大槻ケンヂも最後に出てます。

雨宮処凛の「オールニートニッポン」 (祥伝社新書)

雨宮処凛の「オールニートニッポン」 (祥伝社新書)


最初にいっておかなければいけないと思うので書きますが、僕自身はこの本にでてくる人たちにあまりシンパシー感じてません。たぶん、いっしょに活動したりとかはできないと思う。僕もそうしたいとあまり思わないし、向こうだってそうだろうな、きっと。


でも、この本で描き出されている、世代的には自分も含まれているところの「ロスト・ジェネレーション」をとりまく問題状況には、自分が当事者であるという感じはあまりしないものの、よく理解できるところがあります。


端から見れば、せっかく入社した会社を1年で辞め、大学院に入りなおし、いまだ任期付きの仕事にしかついていない自分は、「自分らしさ」を求めて「夢」を追いかけつづけているワーキング・プアで、未だに正社員の地位にいないのは「自業自得」である、といわれる、まさにロスト・ジェネレーションそのものなのかもしれません。


しかしそういう実感が自分にないのは、それなりに「未来」を望むことのできる位置にいま現在おり、任期付きの仕事とはいえ非人間的な労働を強いられているわけではなく、そしてなにより、最悪の場合には頼ることのできる「実家」が存在しており、かつ良好な親子関係を築いているから。まあ、根が楽天的だというのも大きいですけど。


そういう立場にいるので、この本に出てくるような低賃金長時間不安定労働を余儀なくされ、その先の希望を抱くことができず、かといってそういう状況に対する怒りを表明しようにも、既存の運動組織は自分たちの思いを汲み取ってくれないし、なにより自分自身が「自己責任だからしかたがない」と思い込まされており、袋小路に陥っている同世代の人たちの抱えている「辛さ」や「不満」を共有しているなどとは、決していえないのです。


にもかかわらず、この本に僕はものすごく惹きつけられました。それは、一歩間違っていたら自分もそうなっていたかもしれないという「安全地帯」で覚える危機感などからではなく、ここ数年間、沖縄に関わり、運動に関わり、辺野古に関わり、政府を見つめ、世論を見つめてきたなかで感じていた、現代の日本社会の閉塞感が、正面から論じられていたからだと思います。


そういう視点からは、駅前でこたつをおいて鍋をやったり、家賃が高すぎるからといって「家賃をタダにしろデモ」をやったりしている松本哉さん(第3章)の活動も、そういうやり方でしか社会を撹乱できないんだなという感じがして納得がいくのです。


この本をきっかけに、『希望格差社会』(山田昌弘)や『論座』で今年にはいってから何度か特集されている「現代の貧困」問題に関する諸論考を読みすすめていくことになるのですが、これについてはまた後日。