『ためされた地方自治』

今日は日本社会学会でした。自分も報告をしたのですが、報告のあと、とある先生との会話のなかで出てきたのがこの『ためされた地方自治』。

ためされた地方自治―原発の代理戦争にゆれた能登半島・珠洲市民の13年

ためされた地方自治―原発の代理戦争にゆれた能登半島・珠洲市民の13年

副題を読めばわかるように、能登半島にある珠洲市における原発建設反対運動に関する本です。

著者は、この運動に自ら深く関わってきた、神奈川県在住の女性。

これまで辺野古の問題に関わり続けてきた東京在住の自分と、事例の性格も、事例に対する立場も似ているところがあったので、興味深く読み進めていったのですが・・・

「自分はここまで事例に深く関わっていない」 

うしろから頭をぶん殴られたような衝撃でした。

この本について話した先生とも意見が一致したところです。

研究者としての立場からは、どうしても事例から距離をおいてしまいがち。それでいて、その事例に関しては一家言もっちゃったり、勝手に代弁してしまったりする「あつかましさ」ももっている。

そういう自分自身の「驕り」を見透かされたような、そんな落ち着かない気持ちにさせられる本でした。

この本は、著者の名前も含め、すべての登場人物が仮名になっています。スタイルも研究書というよりもノンフィクション、ドキュメンタリー。

特に、著者の名前まで仮名である、つまりペンネームであるというところに、彼女の覚悟や「やむにやまれぬ気持ち」が滲み出ています。なぜならそれは、自らも当事者であるという意識のあらわれなのだから。

自分の名前を売りたいとか、自分の業績を増やしたいとか、そういう研究者的欲望は、しばしば論文の記述から生命を奪っていく。僕はそれを悪いことだとは思わないけれど、でもやはり、こんな本をつきつけられると、ちょっとうしろめたさを感じてしまう。

「ためされ」ているのは、この本を読んだ自分自身なのかもしれない。