『日本人はなぜシュートを打たないのか?』
後期から、茅ヶ崎方面にある大学で週2コマの講義をもっている。
自宅から大学までは、電車を一度乗り換え、さらにバスにのらなければならず、片道90分ちかくかかるちょっとした旅。
でも幸いなことに、都心へと向かう人の流れと逆行しているので、電車はおおむねすいている。なので、行き帰りのあいだ、ゆっくりと読書に勤しむことにしている。だいたい、二往復する間に新書が一冊読める。一週間に一冊のペースだ。
ということで、しばらくは「くまよむ」の本流に立ち返って、読書メモを書き連ねていこうかと思います。
第一弾は湯浅健二『日本人はなぜシュートを打たないのか?』
日本人はなぜシュートを打たないのか? (アスキー新書 018)
- 作者: 湯浅健二
- 出版社/メーカー: アスキー
- 発売日: 2007/07/10
- メディア: 新書
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筆者の湯浅氏は、ドイツでサッカーの技術および指導法を学び、読売サッカークラブ(現ヴェルディ)のコーチなどを務め、現在は雑誌の連載執筆などをされている方。
この本を買ったのは、日本人論への期待からだったのだけど、湯浅氏の経歴からもわかるように、どちらかといえばサッカーの技術論がメインでした。で、それはそれでおもしろかった。
まず、サッカーとは不確実性のスポーツだという指摘。
「サッカーでは、比較的ニブい足を使ってボールをコントロールしなければならない。それも、イレギュラーバウンドするのが当たり前というボールをである。そんな不確実な要素がてんこ盛りというのがサッカーなのだ。」(p.4)
だからこそ、あえてリスクを犯していかなければ、この不確実な環境のなかで点を獲ることはできない。なので、攻撃の目標はシュートを打つことであって、ゴールはその結果にすぎないのだと湯浅氏はいう。
なるほどなあ、という指摘。たしかに手と比べれば、足は不器用な部位である。その足をつかって、常に動き続けているボールをコントロールするのだから、確実に点が獲れるような状況なんて、滅多なことでは生まれない。
でも日本人は、その「確実に点が獲れるような状況」になるまで、シュートを打たないのだという。
「何を言ってんだよ。シュートを打てるチャンスなんて本当に少ないんだぜ。・・・ゴールを決められる確率を高くしてからシュートを打つだって!?それこそ、ゴールを決めるより難しいプレーじゃないか。」(p.178)
これは、東ドイツ出身のプレイヤーが湯浅氏に対していった言葉。うん、説得力ありますね。
ではなぜ日本人プレイヤーは「確実に点が獲れるような状況」を求めるのか?湯浅氏は、集団主義的な性格の強い日本人は、個人で全体の責任を引き受けることになれていないので、他の10人のプレイヤーがかいた汗の集大成としての「シュートチャンス」を、なるべく背負いたくないのではないかと指摘する。
これはやや単純に過ぎる見解かなと思わないでもないですが、たしかにそういう側面はあるなと思います。ましてや滅多にシュートチャンスなんてこないのがサッカーというスポーツ。集団主義的な国民性は、サッカーには向いてないのかも。。。
結局のところ、楽天的な性格のほうがサッカーには向いているってことなんでしょう。野球選手と比べてサッカー選手のほうが「チャラい」のもうなずけます。
ただ、そう考えると、オシムさんの「考える」サッカーは日本人にあってるのかもしれないですね。瞬間、瞬間で、考えながらプレイする。その精度と速度があがればあがるほど、確実性は高まるでしょうから。
緊急入院されたオシムさんの回復を切に祈ります。
[不謹慎な余談]
駅でみかけた夕刊の見出しビラ。「オシム緊急入院」の隣に「久間、永久入院」。