怒りを力に

今日、沖縄は復帰35周年を迎えた。

“復帰”という用語には異論がある。ほんとうに日本に復帰したといえるのか?そもそも日本は帰るべき祖国だったのか?歴史を振り返ってみても、現状を見直してみても、そうした疑問が生じてしまわざるを得ない状況に、1972年5月15日から35年が経過した2007年5月15日の沖縄はある。

そのことの是非を論ずることはできるかもしれないが、少なくとも断ずる資格は僕にはない。

ただ1つ、どうしてもいっておきたいのは、怒りを力にかえなければ、沖縄だけでなく、日本も、世界も、もはやだめだということだ。

おととい、嘉手納基地に15270人が集まって、全周17.4キロの米軍嘉手納基地を「人間の鎖」で包囲する「5・13嘉手納基地包囲行動」が行われた。
しかし、人数が足りず、「鎖」はつながらなかった。「基地問題への関心の低下を示す結果となった」などと報道するメディアもあった。

誤解を恐れずにいわせてもらう。

人間の鎖」で嘉手納基地を取り囲んでも、もはや何の意味もないのだと。

この35年間、沖縄は強弱の波はあれど、つねに日本政府に対して「怒り」を表現してきた。でもそれが有効だったのは、1995年10月21日の県民総決起集会までではなかっただろうか。8万人を集めたあの集会は、日本政府をびびらせ、在沖米軍基地の整理縮小に向けた方針を政府に出させた。

でも、その結果が、同じ沖縄県内に基地を移設し、むしろ沖縄の負担を増加させることになる、辺野古沖への基地建設なのである。

久間防衛大臣は、「5・13嘉手納基地包囲行動」について、「一種のパフォーマンスでしょう」と言い放ったそうである。15270人が休日のさなか嘉手納基地に集まり、怒りを表現したことに対して「一種のパフォーマンス」と閣僚が言い放ち、そのことが問題発言にさえならないのが、今の日本なのである。

怒りを表現するだけでは、もはやダメなのである。今回「人間の鎖」がつながらなかったのは、そのことに多くの人たちが気が付いているからでもあると思う。

15270人もの人たちのもつ「力」の使い道を考えていかなければならない。1人1人の力を、ほんとうの「力」にかえていくための方策を考えていかなければならない。

そのことを考えていく義務が、僕にはある。