なんとも複雑で・・・

そのままスルーしてしまったほうが楽なのだけれど、どうにもモヤモヤして仕方なく、かといって何をどう書いたものやらと悩みつつ、とりあえず書き出してみる。

超人気ブログ「きっこの日記」で、ここ数日、辺野古での反対運動についての記事が連続して掲載されている。

http://www3.diary.ne.jp/user/338790/
http://www.kikko.cocolog-nifty.com/kikko/

※上記の2つのリンクは別々のサイトですが、内容は同じです。読みやすい方をどうぞ。

特に5月17日の記事では、辺野古で反対運動に参加している方とのメールのやり取りのなかで、辺野古行政委員会が99年の反対決議を撤回したことが紹介されている。

その運動に参加している方の文章のなかで、去年だした本の中で僕が執筆している部分を−ややデフォルメして−引用していると思われる箇所があったりするのだけれど、それはまあいいこととします。本を出した以上、そういうことがおこるのは当然のことなので。

そうではなくて、どうにも気になるのは、「行政委員会」という一部の意見を「住民全員の意見」のように報じるマスコミの姿勢を、「無責任極まりない姿勢」だという意見。

たしかに一連の報道は、「辺野古は受け入れるといっているのに、なんで反対運動がおきてるんだ?反対運動は勝手にやってるだけなんじゃないか?ってことは反対運動は妨害行動を行うけしからんやつらだ」というイメージを多くの人たちに引き起こさせる内容であり、そういう報道をするマスコミを批判したい気持ちもよくわかる。

でも、やはり行政委員会の意見は、すくなくとも「一部の意見」というほどに小さなものではないと思う。これを「一部の意見」だとして退けてしまうと、いま辺野古の住民が抱えている問題の深さを見誤ってしまうのではないだろうか。

たしかに、行政委員会が、住民すべての意思をちゃんと反映しているとはいえない。反対の意思をもっている住民もたくさんいる。
でも、それでも、行政委員会の「反対決議の撤回」という決議がなされてしまったのは、行政委員会の意見にもそれなりに説得力が備わっていたからなのだと思う。

問題は、なぜそこに説得力が備わったのかであり、それは辺野古の経済的な脆弱性であったり、地域の権力構造であったり、米軍基地との関係性であったりするのだけれど、そうしたもろもろを「一部の意見」という見方は捨象してしまっている。そこを捨て去ってしまうと、それは最終的には住民批判へといきつかざるを得ない。
でも、そうした「もろもろ」を日本政府は巧妙に利用しているのである。そういう政府の姿勢を批判することこそが、今現在求められているのではないだろうか。



・・・とはいえ、「きっこの日記」のような超有名サイトで辺野古のことが紹介されていることの効果は大きい。日本政府のやっていることの問題性は多くの人たちに認識されるだろうし、反対運動への支援も増えるだろう。辺野古の海を埋め立てることはあってはならないことだし、埋め立てをとめることができるのは、いま、現地で阻止行動を行っている彼らだけなのである。


それに、政府がいまやっていることは、紛れもない暴力である。そのことは徹底的に批判されなければならない。

だから、「きっこの日記」に直接なんくせをつけるようなことはしない。しないけど、やっぱりモヤモヤは残るので、自分のもっているメディアで、こうして長々と意見とも反論とも愚痴ともつかない駄文を連ねているのである。