沖縄の熱き日々④〜Road to Metabolic〜

ここからはあまりメタボな日々ではありませんが、タイトルはそのままに。

■18日
09:30 起床。

10:30 チェックアウト。辺野古行きの名護東線(77番)が10:55発なので、急いでバスターミナルへ。なんとか2分前にバス乗車。バスは県庁前と松尾にもとまるので、国際通りの混み具合を考えると、間に合わなさそうなときは松尾にいくという手もあることに気づく。
 バスのなかでは『沖縄国際大学公開講座15 基地をめぐる法と政治』を読む。

 読み始めたのはいいものの、どうにも眠い。ときおり眠りながら60頁ほど読み進める。

13:30 第二辺野古に到着。約2時間半、運賃1660円。バスの運転手が集落の入口のところでおろしてくれた。
 すぐにSさんの家に。しばし奥さんと団欒。

14:00 フィールドワーク開始。辺野古は、古くからある下部落と、米海兵隊基地キャンプ・シュワブの建設(1959年完成)に伴って造成された上部落にわかれている。
まずは下部落に向かう。新辺野古公民館は、概観はすでにできあがっていた。総工費、8億2千万円。なお、辺野古の人口は1600人程度。

あと、内装をおえて、許可を得るだけらしい。2月には公式のセレモニーをやるという話だった(Nさん談)。
隣では別の建物が建設中。その隣には相変わらず辺野古活性化委員会のプレハブが。プレハブの正面には代替施設推進協議会、下に辺野古有志会とある。露骨な組合せ。

14:15 辺野古に行くたびにいつも話を伺っているNさんに会うために、Nさんが経営している店にむかう。
Nさんは、1人で店にいた。本の紹介などをし、健康状態をたずねているうちに話が本題にはいってきたのでいそいで録音を始める。

いろいろと興味深い話が多かったが、ここでは省略。っていうか、伏せておく。1年くらいかけてこの10年間の闘いを文章にしたいという話もあり、その際には協力させてもらうと伝え、店を辞す。

16:15 いったんS邸に戻り、録音データをPCにうつす。すぐにティダの会の事務所にいくが不在。少し早いが、他の人に会おうという気持ちにもならなかったので、素直に戻ることにする。
気が進まなかったのは、今回は辺野古に調査にいくことがメインではなかったからではないかと思う。これ以上あたらしい情報を得たくないという気持ちも働いていたのかもしれない。そもそも、昨日から辺野古入りしていてもよかったのだし。
途中、社交街を少しふらついていたが、いくつか新しめの看板が目についた。少し活気を取り戻しつつあるのかもしれない。

16:30 S邸にもどり、沖縄タイムスをチェックしたあと、記憶の鮮明なうちにNさんへのインタビューのトランスクリプトをはじめる。
25分ほどおえたところで、下からSさんの声がするのに気がつく。
さっそく下に降りると、すぐにご飯となる。日本酒を飲みながら、ご飯をいただく。
結局Sさんとは、12時過ぎまでだらだらと話し続けることに。ここでもいろんな話があったのだが、微妙な話も多いので伏せておく。

00:40 20分ほどでフィールドノートをまとめ、1時に就寝。