島の絆

沖縄県八重山諸島に、黒島という「牛の数が人口の10倍ある」といわれる小さな島があります。

先日の日曜、鶴見沖縄県人会館で開催された黒島郷友会主催の「第44回黒島祭り」に、本ブログにもたびたび登場のrumbaさんのお招きでいってきました。そう、rumbaさんは黒島のご出身なのです。
なかなか郷友会の活動に参加させてもらう機会なんてありませんし、なによりrumbaさんのみならず、Caraway殿の唄三線独唱を聞けるとあっては、いかないわけにはまいりませぬ。

鶴見駅からタクシーでワンメーターと聞いていたので、たいしたことなかろうと思い歩いていったのですが、これがけっこう遠い。あとできいたところによると、駅からちょうど2キロの距離にあるそうで、ぎりぎりワンメーターなのですね。
でも、道沿いにたくさんの沖縄料理屋があることは、歩かなければきがつかなかったかも。怪我の功名。

黒島は芸能の島と呼ばれることも多いのですが、みなさん、そのうわさに違わない芸達者ぶり。普通のおじさんやおばさんが、素人がみても「すごい」とわかる琉球舞踊を踊り、三線をつまびき、民謡をうたい、太鼓をたたく。約3時間のあいだ、舞台がとぎれる瞬間はほとんどありませんでした。rumbaさんも何度も舞台にあがって、真剣な表情で踊っておられました。

それにしても、黒島から遠く離れた関東の地で、44回も祭りが続けられてきていることに驚きを覚えます。黒島は、人口200人程度の小さな島。それなのに、いやそれだからこそ、これだけの強固な郷友会組織が維持されているのでしょう。沖縄本島の人たちも強い絆をもっていると感じますが、それとはまた違う、言い方は悪いかもしれませんが、甘えのない絆があるように感じました。

そう感じたのは、ある方から黒島の歴史について話をきいたからかもしれません。その方によれば、黒島は米がとれないため、それほど多くの人口を養うことができないので(だから牛が人口の10倍いるなんてことになるのでしょう)、島民の多くは、成長すると石垣島や本島、あるいは日本本土へとでていかなければならなかったのだそうです。
だから、別れを悲しむ唄が多く作られて「芸能の島」となったのだという話だったのですが、こうした歴史が、島から出た人たちに逞しさをもたらし、そして、強い絆で結ばれた郷友会組織を作り上げたのではないかと思います。

石垣島からも30分くらいでいけるようですし、今度離島をめぐるときには、ぜひいってみたい島ですね。