フラガール(ネタバレ注意・・・かも)

みてきましたよ、フラガール。泣くだろうなとは思ってましたが、泣きまくりでした(T_T)(>_<)(T_T)

でも、ただの「お涙頂戴」ではないですよ、この映画。実によくできてます。

自分にとって、泣くポイントがてんこ盛りでした。師弟愛、兄弟愛、母と娘の対立と母の愛、友情、成長、地方の苦しさ、地域住民の対立とその乗り越え・・・ よく2時間でこれだけの内容を盛り込み、過不足なくまとめられたものだと思います。

特に、ハワイアンセンターを巡る、炭鉱で働いてきた人たちの複雑な感情がうまく描かれていたことがよかった。あくまで炭鉱にこだわる人たち、生きていくためにハワイアンでの仕事を選ぶ人たち、炭鉱から抜け出すために、そして、炭鉱で生きてきた街を守るために、フラダンスを踊る女性たち。それぞれが対立しあいながら、次第に断絶を埋めてゆき、街は新しい時代を受け入れていく。常磐とハワイ、炭鉱とテーマパークという、あまりにもかけ離れた2つだったからこそ、時代を乗り越え、受け入れることができたのかなと思います。

他にも興味深いシーンがたくさんありました。昭和天皇常磐炭鉱を視察し、「32分」もヤマに入られたときのことを、炭鉱の人たちが誇りに思っていたことを示すシーンは、おそらく当時の人たちの聞き取りを元にしていることだと思うし、ハワイアンセンターを宣伝するためにフラガールたちが大型バスで全国をまわっていたことからは、テレビをつかった宣伝が主流となっている現代との違いに気づかされました。

そして、南国宮崎が、海沿いに、常夏の楽園「シーガイア」をつくったことを、やはり宮崎県民としては考えざるを得ません。
「意外性のなさ」を「イメージとの一致」にすり替えることで、シーガイアはつくられてしまいました。
もちろんその背景に、観光宮崎をもう一度、という切なる願いがあったことは事実です。でも、かつて売りにしていた「南国」が廃れてしまったあとに、もう一度「南国」をつくりだそうとしたその戦略に、疑いの余地はなかったのだろうか?
いや、あったと思うし、疑っている人たちもいたように思う。でもシーガイアはつくられてしまった。そこにはどんな力学が働いていたのだろうか・・・このテーマもまた、いつか研究としてやってみたいですね。

とにかく、いい映画です。みなさん、みてくんちぇ☆

余談その1
地方の問題を研究している僕とは違い、発達心理を専攻している相方は、娘と自分とは別の人生を歩んでいくのだということを母親が受け入れていく過程がツボだったようです。観る人によって視点が違うもんだなーと思った一瞬でした。

余談その2
その相方が、映画のあとにお手洗いで聞いた茶髪の女の子たちの会話。
「びみょーだったよねー」
「でも方言がかわいかったよねー」

・・・きみたち、ほんとうにそれでいいのかっ