秋祭り

僕が住んでいる地域には、近くに神社があることもあって、祭りが盛んだ。今日と明日は、その神社の例大祭。朝、洗濯物を干していると、太鼓や囃子の音があちらこちらからきこえてきた。

準備が始められたのは2週間ほど前。以来、地域は少しずつ祭りの色を身にまとっていく。祭りがこの土地に根付いているということなのだろう。

僕の生まれ育った地域は、そういう地域の祭りが盛んではなかった。だから、祭りになるとソワソワして落ち着かないという人たちの気持ちは、ほんとのところはよくわからない。でも、盛んではなかったからこその思い出もある。

あれは小学校高学年のことだったと思う。どういう経緯でそうなったのかは知らないが、父親が、地域の祭りでつかう「子ども御輿」を製作することになった。父親は地方公務員。手先が器用な人ではあるのだが、もちろん御輿の製作などはじめてのことだ。当然、漆を塗って金色の飾りをつけて、なんていう本格的なものができるわけではない。

仕事を終えた後や休日をつかって、ずいぶん時間をかけて作っていたような記憶がある。できあがったのは、長さ3メートルほどの小さな御輿。「井」の形に組んだ担ぎ棒の真ん中に、酒樽を加工したものを乗せたもの。色は赤錆色を基調にし、酒樽には金色の家紋のような模様が貼り付けられていた。そして酒樽の中心から棒が上にのび、榊をくくりつけられるようになっていた。

その御輿を担いだのは2回くらいだっただろうか。当時の自分は、父親が作ったということへの面はゆさとうれしい気持ちとがごっちゃになっていたように思うが、正直なところ、よく覚えていない。覚えているのは、体操着の肩のところに、御輿に塗った赤錆色の塗料がうつってしまったこと。そして父親が、御輿につける白い和紙の飾りの出来具合にやけにこだわっていたこと。そういう、部分的などうでもいいような記憶だけが、なぜか心に残っている。

その御輿はしばらく使われていたようで、近所の子どもたちが父親に御輿のお礼に訪れてきたのを、中学生のころにみたような記憶があるが、いまはどうなっているのかわからない。おそらく、まだ使われているということはないのだろうが、少なくとも何年かは父親の作った御輿が、地域の無事や繁栄を願う人たちの思いを背負って、多くの子どもたちにかつがれていたということは、息子としてもうれしく思う。


久しぶりの秋晴れに恵まれた東京の空に、祭りの声が響いている。