名護市長選挙

何から書けばよいのだろうか。


今回の結果に関する自分の考えが定まる前にほかの情報を頭に入れたくなかったので、選挙結果以外の情報はほとんど頭に入れていない。ここに書き込むことを通して自分の考えに整理をつけたうえで、いろんな人たちの解釈や意見について読んでいくつもりにしている。だから以下に書き記すことは、ほかの誰かがすでにいってることかもしれないし、誰もそんなこといってないかもしれない。



とにかく、たいへん残念な結果であったことにかわりはない。反対を表明しているとはいえ、おそらくは今後受け入れに転じるであろう候補者が当選したのだから。


残念だ、ということ意外に、何を考えるべきか。三候補者の得票数から考えてみることにする。ちなみに三候補者の得票数は以下のとおり。

島袋吉和  16764
我喜屋宗弘 11029
大城敬人   4354
投票率 74.98%)


まず、我喜屋さんと大城さんという、革新候補者の得票数を足しても、当選した島袋さんにはおよばないということについて。


島袋−(我喜屋+大城)=1381


この数字、なんとも微妙な数字である。結構な差があるようにも思えるし、大した差ではないようにも見える。足しても勝てなかったのだから、分裂したことによって勝てなかった、ということにはならずにすんだわけで、分裂したこと自体が今後に残す傷跡は、それほど深くならずにすむかもしれない。


ただ、今回の投票率が史上最低であったことは考慮しておきたい。しってのとおり、今回の選挙では革新候補が分裂した。一本化をはかる動きはたくさんあったし、どちらか1つにはしぼれないため、どちらを支持するのか判断できずにいる団体もたくさんあった。こうして悩んだ結果、投票できなかったという市民がいた可能性は否定できない。「受け入れ反対」という意思を代弁してくれる候補者が実質的にいなかったともいえるかもしれない。三候補者とも「受け入れ反対」を掲げていることを考えれば、皮肉なことだが。


また、革新が分裂したことにより、「どっちにいれても死に票になるのだから、それなら自分たちに仕事をもたらしてくれる可能性の高い島袋さんにいれておこう」と判断した市民もいたかもしれない。これはけっこう、いたんじゃないのかなと思っている。


こうした分裂が引き起こされた背景には、日本政府がこれまで辺野古や名護に対して行ってきたアメ(振興策)とムチ(基地受け入れ)政策がある。

もともと経済的に脆弱であり、市財政における基地依存率が25%近い名護市にあって、基地反対を貫くことはひじょうに難しい。基地に反対するのであれば、「反対してもくっていける」ことが保証されていなければ選挙では勝てない。だから革新政党や労組は、元保守系の市議会議長であった我喜屋氏を推薦したのだ。

でも、我喜屋氏は、彼が元保守であるがゆえに、辺野古でずっと反対運動を続けていた人たちからは信用されにくい。結果、ずっと辺野古の反対運動に携わり、支え続けてきた大城氏(という言い方はあまりにもそぐわない方なので、以降はヨシタミさんでいかせてもらう)が立候補する素地が生まれ、ヨシタミさんもそうした人たちの思いをうけて、立候補したのだと思う。そのヨシタミさんが獲得した4354票は、決して少ない数ではない。少なくはないのだが、選挙で勝てる数字でもない。


ただ、今回は明らかに、革新票がのびていることは記憶しておくべきだろう。2002年の市長選のときは、二期目の当選をねらった岸本氏が20456票をとったのに対し、革新側がたてた宮城康博氏(名護市民投票のときの中心人物)は11148票しかとれなかった。これは、宮城氏の実力不足というより、このときは辺野古への移設に関する政治的な動きがほとんど見られなかった時期だったがゆえに、基地問題が争点とならず、基地反対票がのびなかったのだといったほうが正しいだろう。


しかし今回の選挙では、辺野古での激しい闘いが繰り広げられた後であり、しかも沿岸案という粗悪な計画が日米間で合意された後であったことから、移設問題は重要な争点となっていた(1月22日付け朝日新聞に掲載されていた出口調査では、投票の際に重視した項目として「普天間移設問題への姿勢」44%と、「地域振興への期待」42%をわずかに上回っていた)。そのため、名護市民の多くは、基地受け入れについて熟慮した上で、投票をしたのではないかと推察される。その結果としての15383票(我喜屋+ヨシタミ)からは、名護市民の強い意思が読みとれる。


また、保守の側を見てみても、あきらかな票の減少があることは見逃せない。前回選挙で岸本氏が20456票から今回の島袋さんの得票数を引くと、3692票。有権者の数が違うので単純な比較はできないが、保守を支持していた人たちのうち、少なくない人数が革新候補者に投票したことは明らかである。


こうしてみていくと、無視できない数の名護市民が、基地の受け入れに反対している姿が浮かび上がってくる。日本政府がこれまで頭上に掲げ、投げ与えてきたアメの大きさに鑑みれば、15383という数字は、すごい数字だと思う。だけど、選挙で勝てる数字ではない。究極的には結果のみが問われる選挙にあって、勝てない数字であることの意味は、やはり大きい。


先ほどは、保守票と革新票との「差」をみた。でも、保守票と革新票をならべることから見えてくるのは、経済と基地との狭間で揺れ動き、悩み、苦しんでいる名護市民の苦衷ではないだろうか。こうした状況こそが、普天間基地移設問題における不正義の本質である。

結局のところ、もっとも悪いのは、こうした状況をつくりだし、名護市民に苦しみを味わわせている日本政府である。けれども、「政府が悪い」といっているだけでは、もはや何も解決しない。名護の苦しみは、政府を批判することによっては緩和されない。批判ではなく、政策を変えさせることが必要なのだ。中央と地方の差を埋めるための当然の政策として、地方である名護市に振興策が投下されるようにしなければならないのだ。


もちろん、そんな甘い話はない。けれども、そういう目標のもとでなければ、住民と運動との協働はなされえないだろう。そのためにも、いまこそ運動は、なぜ今回の選挙で負けたのか、なぜ革新候補の一本化がならなかったのか、その根元的な理由について考えなければならないのだ。