サウスバウンド

サウス・バウンド

サウス・バウンド

僕は、子どもをうまく描けている小説が好きだ。
といっても、純真無垢な子どもとして描かれているのが好きだというわけではない。
むしろ、その反対。
無邪気さやら悩みやら狡猾さやらがまざりあった存在として子どもが描かれていると、
その小説はリアリティを増す。
その筆頭は宮部みゆき。特に『龍は眠る』は傑作。


『サウスバウンド』の主人公は中野ブロードウェイを通学路としている小学六年生の上原二郎。
著者の奥田は、この二郎くんを実に生き生きと描き出している。
二郎くんだけではない。二郎くんの友達や妹といったほかの子どもたちも、
それぞれにちゃんとした人物像が設定されていて、
それぞれのセリフに違和感がない。


それだけでも十分にいい小説なのだけれど、この本はさらに奥が深い。
なんといっても、主人公の父親であり、元学生運動伝説の闘士で、
現在は「ブルジョアジープロレタリアートも、集団になれば同じだ。権力を欲しがり、それを守ろうとする」と、
あらゆる左翼系組織に失望して距離を置きながら、1人で国家と闘っている上原一郎さんが強烈だ。
本blogのヘッダーにある言葉*1も、この一郎さんの言葉である。



物語の後半では、西表(いりおもて)島が舞台となる。
島民の「ゆいまーる(助け合いのこと)」精神が、とても魅力的に描き出されているのもいいし、
西表島のリゾート開発を巡る、開発を促進する建設業界およびその庇護者であるところの町議会議員と、
西表島の自然に魅せられて住み着いた本土出身者たちによる反対運動(ヘッダーの言葉はこの反対運動のメンバーに対して投げかけられた言葉)という、
いろんなところでよくみられる構図を、
切れ味鋭くばっさりと切り捨てる一郎さんが、見ていてきもちいい。


この町議会議員に代表されるように、地方では未だに開発にかける期待は大きい。そうしなければ、経済的に厳しいからだ。


町議は叫ぶ。
「ベンツを乗り回している人間なんか、八重山には一人としていないぞ。みんなナイチャーに吸い上げられてんだ。」
一郎はこたえる。
「そうか、貴様も搾取される側か。ならば下請けに立ち退きまでやらせる卑怯者のナイチャーを、この場に引きずり出せ」


・・・そう、地方は搾取される側なのだ。


「搾取」というと、なんだか古めかしくて、大仰な感じがする。
しかし、実は見えないところで、あるいは見えないようなふりをしているなかで、
いろんな形で、
いろんなレベルで、
搾取はなされている。


その搾取と闘うために、時には暴力もふるいながら権力に抗う一郎さんは、
彼が正しいことをしているかといえばそうでもないところがたくさんあるのだけれど、
やっぱりかっこいいのだ。

*1:ヘッダーの言葉を変えてしまったのでここに再録しておきます。「左翼運動が先細りして、活路を見出したのが環境と人権だ。つまり運動のための運動だ。ポスト冷戦以降、アメリカが必死になって敵を探しているのと同じ構造だろう」  くーっ、しびれるぜ!