不確実性のなかで何かを決定するということ

今日はT大学でK先生の英書購読の授業にでてきた。
考えてみれば、所属していないT大学に週2回勉強をしに行き、
所属しているW大学に週2回仕事をしに行っている。


それはさておき、
自然科学と人文科学の話をしていたとき、K先生からおもしろい話を伺った。


工学の話である。


工学というと、バリバリの理系で、計算して製図を書くことばかりしているイメージがある。


しかしK先生によれば、だからといって計算だけがすべてだと思っているわけではないそうだ。


というよりむしろ、計算の限界性を受け入れた上で、
すなわち、計算によってはすべてを知ることできないのだという不確実な状況のなかで、
何かを決定しているのだそうだ。
常に自然という不確実な存在と対面してきたからこそ、
こういう謙虚な姿勢が生まれたのであろう。


そして決定する際には、
計算による情報だけではなく、
他の情報−例えば住民の意見など−を取り込みながら、
より妥当性の高い決定をしようと日々努力しているそうだ。
ここに、文系的知と理系的知とが融合しつつある姿が垣間見られる。
優秀な研究者であればあるほど、そういう傾向があるのだという。



この「不確実性のなかで何かを決定する」という行為は、
情報が氾濫し、さまざまな価値が流布する、
不確実性の高まった現代日本においても、常に求められているといえる。


ここにも、理系的知と文系的知との融合の可能性が潜んでいる。