うれしい写真
何度も、何度でも見直したい、うれしい写真が掲載されたのは、沖縄タイムス11月1日付朝刊。
市長、反対派と握手/8年間の対立和解へ
幾重にも取り囲む報道陣や市民から一斉にどよめきが起こった。「いろいろご迷惑をお掛けしました。お元気でいてください」。基地建設反対を訴え名護市辺野古で座り込むお年寄りの女性に歩み寄り、岸本建男市長が手を握った。
日米両政府が合意した「沿岸案」の受け入れを求め、北原巌男防衛施設庁長官が市役所を訪れた二十八日午後。これまで国と歩調を合わせてきた岸本市長が同案について、きっぱりと拒否の姿勢を示した。
海上基地建設をめぐり、八年間にわたって推進や容認、反対などの対立を続けてきた地元・名護市。岸本市長と反対派住民の握手は、「沿岸反対」で県・市全体が急速にまとまりつつある現状を象徴する出来事になった。
会談が行われた市長室前には、市民団体や市職員、報道関係者ら百人余りがびっしり。同日午前に稲嶺恵一知事が拒否を表明していただけに、市長の動向に一層、注目が集まった。
「この計画は受け入れることはできません」。会談後に報道関係者の質問に応じた岸本市長が拒否を明言すると、集まった住民や市民団体らは拍手で歓迎。「ちゃんと説明しろ!」と罵声を浴びながら引き揚げた北原長官とは、対照的な光景だった。
滑走路の位置や方向、規模、騒音問題などさまざまな疑問点を挙げ、一語一語かみしめるように拒否の理由を説明する市長。「今のままでは問題が多すぎる」と指摘すると同時に、「(今後計画が)大幅に変更する可能性はないんじゃないかという感触を持ちました」と述べ、今回の合意案には“徹底抗戦”する姿勢を示した。
辺野古の座り込みテントに通う辺野古在住の小禄信子さん(85)は、仲間に導かれ、一番近い位置で市長の話を聞いていた。「辺野古のおばあに一言」と周りから声が上がると、岸本市長はためらうことなく歩み寄り、右手で握手。市民団体のメンバーからは「市長が就任以来、住民と対話を交わすのは初めて」と、高揚した声が相次いだ。
「お会いできて本当に来てよかった。これからまた頑張る」。小禄さんは感慨深そうにつぶやいた。
小禄さんとは何度かお話させていただいたことがある。「辺野古のお姫様」の愛称もあるように、そこはかとなく上品さを湛えた、それでいて強い信念を秘めている方。「命を守る会」のシンボル的な存在といってもいいと思う。
かたや岸本市長は、容認派の住民を支持層にもつ方で、市長として辺野古沖への移設を認めていた。反対派との対話を拒み、反対派の罵声を浴び続けてきた。その一方で、かつては革新勢力に身を置き、一坪反戦地主でもあったという側面ももっている。
この2人が、握手をしたのだ。
岸本市長も、ようやく自分の意思に従った行動ができたのではないだろうか。県知事の反対を得、支持基盤であった商工会の反対も得、ようやく反対の意思を示すことができたのではないかと思う。
こうした動きを受けて、辺野古区も反対決議をあげ、これまでボーリング調査に協力してきた辺野古漁協も反対の意思を表明した。
本音では誰も基地なんてきてほしくなかった。けれども、「いらない」といえないさまざまな事情があった。
それが、ようやく、「いらないものはいらない」といえるようになったのだ。
住民を無視したとんでもない合意内容が、沖縄の反発を可能にしたのだ。
状況は厳しい。今回合意された内容を覆すことは、かなりむずかしいだろう。
けれども、これで辺野古が、名護が、沖縄が、反対の声を上げることができるようになったことは、声を上げられなかったこれまでのつらい時間のことを考えれば、大きな喜びであるといっていいと思う。
あとは、この声を私たちが聞き取ること。受け止めること。そして、状況を動かすこと。
海での戦いはおわった。これからは陸の戦いだ。