伯母の死
先週末、伯母が亡くなった。
父親のいちばん上の兄の配偶者だった。つまり、一族のまとめ役的な存在であるはずの人だった。
「あるはずの人だった」ということは、つまりはそうではなかったということだ。
なんというか、子ども心に「かわったひとだな」という意識があった。
なんといっても、クリスチャンというのが、相当にかわっていた。
そのせいなのかは知らないが、立ち居振る舞いが、なんとなく上品だった。
その伯母のまわりだけ、なんだか別の空気が流れているような、そんな感じ。
田舎では、あまりそういうのはない。
客観的に見れば、けっこう格好いい人生だったのかもしれない。
信仰を貫いた、という感じではなかったが、信念は貫いていたように思う。
ただ、まわりの抵抗を押しのけて、というよりも、
そんな抵抗などまるでないかのように振る舞っていた。
それが「かわったひと」というふうに見せていたのだろう。
そんな伯母のことを、僕はとくに好きでもなかったが、かといって嫌いでもなかった。
そういえば、伯母に連れられて日曜学校にいっていたこともあった。
たぶん、伯母や教会が持っていた、なにか不思議なものに惹かれていたのだろうと思う。
お葬式は教会であったそうだ。
賛美歌の流れる、いいお葬式だったと母親がいっていた。
伯母はいまごろ、神の御許にいるのだろうか。