沖縄を巡る議論の位相

くまの敬愛するタダオサム師が、沖縄で開催された小林よしのり講演会にいってきたそうです。http://d.hatena.ne.jp/tada8/
先日小林氏が出版した『沖縄論』を題材とした講演会で、沖縄タイムスの記事によれば若者を中心に1200人ほどが参加したとのこと。

新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 沖縄論

新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 沖縄論

この『沖縄論』については、いずれここでも言及をしなくてはならないと思いつつ、未だ果たせずにいます。ここではとりあえず、沖縄の基地を日本本土にもっていくべきだという氏の主張には同意するものの、その理由については激しい違和感を覚えているということだけを表明しておきます。

さて、小林よしのりが沖縄で読まれることの意味を考えなければならないな、と思っていたところ、沖縄タイムスで以下の記事をみつけ、愕然とするとともに、あらためて考え込まされてしまいました。

目取真さんら平和シンポ 軍事政策に危機感

 日本が戦争のできる国へ変わっていくことを懸念し、あらためて平和について考えようと「日本の潮流と沖縄の戦後六十年」シンポジウム(同実行委員会)が十四日、那覇市内で開かれた。約百人が集まった。

 パネリストは石川元平さん(普天間基地爆音訴訟原告)、目取真俊さん(小説家)、安里英子さん(ライター)。コーディネーターは沖縄大学助教授の屋嘉比収さん。

 宜野湾市で同じ時間に開かれた小林よしのりさんの講演会に対抗した。
 目取真さんは「日本の軍事政策は南西諸島に向いており、着々と準備が進んでいる」と指摘。安里さんは「沖縄の特に若い人たちが小林氏の『沖縄論』を読んでいることに驚いている。氏の反米愛国主義は、きちんと見定めなければならない」と話した。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200508151300_07.html

安里さんがいうように、小林氏の反米愛国主義はきちんと見定めなければなりません。彼の主張は、「沖縄は日本だから、アメリカの横暴から守らなければならない」というパターナリスティックなものであり、この主張をそのままに受け入れるわけにはいかないでしょう。

ただ、そういう主張もありうるということ、それが沖縄の若い人たちから一定の支持を得ているということは、注視する必要があります(もちろん講演会に行った人のすべてが小林氏の主張に賛同しているわけではありませんが)。それもまた、沖縄におけるひとつの意見だからです。

ところが記事にあるように、目取真さんたちのシンポジウムは、小林氏の講演会に対抗して実施されています。

対抗する=耳をふさぐ/ふさがせる 

自ら耳をふさぎ、自分たちの仲間をいかせないようにし、仲間の耳もふさがせる。

そこには、合意も、理解も、和解もありません。

いま、基地を巡る議論のなかで必要とされているのは、徹底した議論だと思います。沖縄タイムス8月13日朝刊には、基地について、「今まで通りでよい」とこたえた県民は4%にすぎないという世論調査の結果が載っていました。基地をなくしていきたいという想いは、総論として県民に共有されていることは明らかです。

だからこそ、いろいろな意見をもちよって、何が問題なのか、どうすれば自分たちにとって幸福な状態を実現することができるのか、そもそもその「幸福な状態」とはどういう状態なのか・・・考えなければならないのではないでしょうか?

右とか左とか思想とかイデオロギーとか、それらの必要性は否定しませんが、そこに寄り添うことによって思考を停止してしまってはなりません。現状が抱えている問題の改善を目的とした議論は、思考停止を乗り越えたところにこそ顕現するのです。