一年と一日前

2004年8月13日 沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した日

第一報は東京にいる友だちからだった。テレビのニュース速報で流れたのだ。それから間をおかずして、沖縄の友だちからも電話やメールがはいった。

ちょうどそのとき、僕は、辺野古の集落を歩いていた。普天間基地の移設について、移設先の住民である辺野古の人たちの声をひろっていたのだ。

事件のニュースをきいて思ったのは、「ついにおきた」っていうこと。

この「ついに」と「おきた」の間には、何がはいるのか?

まず考えるべきは、「沖縄県民の命を奪うような事件が」であるべきだろう。幸いにして、奇跡的に、負傷者すらでなかった。あとで現場を見に行ったのだけれど、これはもう奇跡としかいいようがない。

でも、正直なところ、このとき僕が最初に思ったのは、「普天間基地移設に決定的な影響をおよぼすであろう事件が」だった。

そのすぐ後で、知り合いが犠牲になってないだろうか、とか、死者がでていなければいいんだけど、ということを考えた。

いま、同じような事件が発生したら、自分はどう感じるのだろう。それはわからない。でも少なくとも一年と一日前、僕はそう、感じていた。