戦争・国籍・責任

昨日の深夜、偶然見た番組「アロハ桜〜ハワイ日系二世兵士からの贈り物〜」からは、いろいろと考えさせられた。

京都府舞鶴市に“アロハ桜”と呼ばれる桜の木があります。
 “アロハ桜”? えっ? 何それ?”…この旅はそこから始まります。
 イラクに援助物資を届けるため頻繁に自衛艦が行き交う港湾都市舞鶴。その港を見下ろす丘の上に“アロハ桜”は植えられています。
 “アロハ桜”とは桜の種類ではありません。
 これは、ハワイで生まれ育った一人の日系二世アメリカ兵士が贈った桜なのです。贈り主は高木藤雄さん。彼は戦後間もなく数百本にも及ぶ桜を舞鶴の地に贈ったのです。しかし、彼はその花を一度も見ずして亡くなりました。戦後60年を迎えた今、高木藤雄さんはなぜ“桜”をこの地に贈ったのか? どんな想いが込められたのか?
高木さんの妻、弥生さんが来日し、夫の足跡をたどります。そこには、日本人でありながらアメリカ人として生きる道を選ばざるを得なかった一人の日系二世の“葛藤”がありました。

 満開のアロハ桜。その裏にあった一人の男の人生から、日本人とは?国籍とは?何なのか、を考えます。 http://www.fujitv.co.jp/nonfix/library/f474.html

高木さんの両親は、ハワイで十分にお金を稼いだ後、ハワイを離れて日本に戻っていた。小さかった弟はいっしょに日本に戻ったが、青年だった高木さんは、日本に戻ったら徴兵される危険があったため、両親の判断でハワイに残った。その後、あの真珠湾攻撃に遭遇することになる。

彼は、真珠湾攻撃のとき、目の前で自決する日本兵を見ている。同じ日本人が、日本人がたくさん住んでいるハワイを襲撃したことへの疑問、捕虜になるくらいならと、目の前で命を絶った日本兵へのとまどい。自らの身を守るためにアメリカ軍に入隊したことへのためらい、葛藤、そして誇り。

終戦後、日本に駐留した高木さんは、シベリアから舞鶴に引き上げてきた抑留者への尋問を担当する。ソ連の情報を得るためだ。そこで彼は、日本兵として出征していた実弟に再会する。弟も、引き揚げ者も、そして日本人の誰もが、笑顔を失っていた。高木さんの葛藤は、さらに深まる。

彼は、日本にいる両親に渡すつもりで、お金をためていた。そのお金を持って両親に会いに行ったのだが、両親は「日本中が困っているのだから、そのお金は日本全体のためにつかいなさい」といって受け取らない。

考えた末に彼は、そのお金をつかって、舞鶴に桜の苗木を送ることを決意する。ハワイ生まれ、ハワイ育ちの高木さんは、両親や他の移民の人たちから、桜の美しさを教えられてきた。桜を見なければ、日本人の精神を理解したことにはならないともいわれた。その桜を、舞鶴に植え、日本人に笑顔を取り戻そうとしたのだ。

高木さんが舞鶴に桜をおくったのは、日本人として生まれながら、生きていくためにアメリカ軍に入隊したことに対する償いだったのではないかと思う。自信をなくした日本人に、桜を見せることで、失ってしまった日本人としての誇り−そしてアメリカ兵である自分が奪ってしまった誇り−を取り戻してもらいたい。そう思ったから、桜を贈ったのではないだろうか。

そしてそれは、桜のないハワイで育った自分の心の中に、桜を植えることだったのではないだろうか。

高木さんが生前、自分の半生について語ったビデオがある。高木さんの人生に興味を持った姪っ子がインタビューをしたからだ。そのビデオの最後で、高木さんはこう話す。

「戦争で幸せになった人は誰もいない」

原爆をおとしたのは戦争を終わらせるためだったと言うアメリカ人がいる。日本が戦争をはじめたのはアジアのためだったという日本人がいる。かれらに、同じ言葉を投げかけたい。

「戦争で幸せになった人は誰もいない」と。