道州制

土曜にひらかれた沖縄学研究所研究発表会。多彩な報告に彩られた発表会で、自分も発表しておきながらこういう言い方はなんなのだけれど、予想していたよりもずっと面白いものでした。

個人的には、辺野古での反対運動の有用性は否定しないけれども、このまま住民から離れたままの運動を続けていくことには反対する、という自分の主張が、長年運動にかかわってこられた方に全面的に受け入れられたことがなによりもうれしかった。

自分のことはさておいて、多彩な報告の中でも特に興味深かったのが、玉城朋彦氏による「沖縄自治州への考察と提言」。道州制導入にむけた行政レベルでの取り組みの全容がわかるとともに、“沖縄州”の実現可能性に関する具体的な試みが示されていた。

沖縄州を実現するためにもっとも問題になるのは、やはり経済・財政であろう。ただでさえ脆弱な財政基盤しかもたない(なぜそうなってしまったのかについてはここでは論じない)沖縄が、単独で州をつくったとして、果たしてやっていけるのか。

玉城氏は、自然条件をいかした観光リゾート業や、健康食品の栽培・生産などの内発的産業への期待や、税制の改革、尖閣沖に眠っていると推測されている石油の採掘など、いくつかの可能性を示してくれた。なかでも興味深かったのが、在沖米軍基地の負担料を本土から徴収するというアイディアである。

日本の安全保障を背負わされていることに対する負担料(あるいは迷惑料)を、沖縄は本土に対して要求することができるのだというこのアイディアは、塚田報告によって示された安保への貢献度が沖縄への補助金の額を左右している現状を逆手に取った妙案だと思う。

だがしかし、このアイディアを沖縄がのめるかどうか、考えてみたとき、そう簡単にはいかないだろうと思う。なぜなら沖縄が負担料を要求するということは、米軍基地の存在を沖縄が認めることにもなってしまうからだ。だからおそらく「負担料を認めることは基地の恒久化につながる」という批判がでてくるだろう。

しかしこの「負担料」というアイディアは、基地の恒久化へと不可避的に接続してしまうものなのだろうか。安保を支えているのは沖縄なのに、安保が必要なのはむしろ日本本土なのに、沖縄はまるで、日本のおかげで生きながらえてきたかのような位置におかされつづけている。こうした理不尽な状況を覆し、イニシアティブを自らの手に取り戻すことこそが、まずは必要なのではないだろうか。

イニシアティブを取り返すことができれば、沖縄が主体的に基地問題について政策提言できるようになるだろう。負担料請求というアイディアは、そういう方向についても意識しながら、今後さらに洗練していく必要があると思う。

それにしても道州制が、ここまで具体的に実現可能性が論じられる段階にあるとは、恥ずかしながら知らなかった。その不勉強さの言い訳のように聞こえるかもしれないが、マスコミは、今後の議論を進めやすくしていくために、もっと道州制の可能性/不可能性について随時伝えていき、道州制を国民の「国民的関心」にまで高めていく必要があると思う。

調査会や委員会レベルでの議論は、具体的な市民の日常との距離感から、しばしばいいとこどりのものになってしまったり、総花的なものになってしまったりしがちだ。誤解をおそれずにいえば、その「うさんくささ」にひいてしまう人がでてくるのは、今のままでは避けられないように思う。

そういう事態を避けるためにも、マスコミが「考えるべき課題」であるというスタイルでの報道を進め、国民一人一人に道州制について考えさせるよう促していく必要がある。道州制の導入の是非も含め、今の段階から、多様な論議がなされることが重要なのではないだろうか。