応援という行為について

hirokuma2005-06-09

昨日の北朝鮮戦、いやぁよかったよかった。ほっとしました。

実は昨日、相棒といっしょに国立競技場のパブリックビューイングにいってきました。アウェイでやっている試合を、競技場にあつまってオーロラビジョンでみながら応援するというアレです。

仕事があったこともあり、国立についたのは試合開始直前。もちこめなかった缶チューハイを外で飲み干し、良い気分で競技場に。オーロラビジョンを真正面に見据えることのできる代々木門側のスタンドは青一色。おそらくは早くから並んでいたであろう人たちがあつい応援を繰り広げていました。
遅れてきたぼくたちはバックスタンドに。こちらは比較的おちついた、観戦モードのひとたちばかり。こちらはいまいち盛り上がりに欠ける。色もバラバラ。
それにしても、自分がいっておいてなんなんだけど、あの国立に集まった人たちの「応援」という行為は、明らかに自分たちが楽しむための行為。ここで広辞苑をひいてみると
【応援】(競技などで)声援を送って、味方を元気づけること。
とある。「応」という字が「相手にこたえる」という意味をもち、「援」という字は「助ける」という意味をもつのだから、応援とは、相手の助けてほしいという声にこたえて助けをさしのべるという行為なのだといえる。でも国立には「助けてほしい」と声をあげている選手はいない。だから、国立でなされていたのは、厳密な意味では「応援」ではない。ないのだけれど、僕は大声をはりあげて「やなーぎさーわ」とか「オオグロ」とか、叫びまくってました。で、とても気持ちよかった。つまり、楽しみにいったのである。
一方で、試合をみることができないのに、バンコクまでいって競技場の外から声援をおくっていたサポーターがいる。かれらの応援こそが、ほんとの「応援」。自分の楽しみはさておいて、助けをもとめている選手たちのために、応援する。正直、すごい。
さて、来年はドイツ。時差があるのでつらいけど、やっぱり夜更かしするんだろうな。それにしても日韓ワールドカップからもう3年かぁ・・・はやいなぁ