タイガー&ドラゴン

タイガー&ドラゴン「三枚起請の回」
ポニーキャニオン (2005/03/09)
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たいがーたいがーじれったいがー

いやはや、久々にハマるドラマに出会いました。正月にやった2時間スペシャルがひじょーにおもしろかったので期待していたのだけれど、期待以上のおもしろさ。古典落語のストーリーとドラマで描かれるストーリーとがどのように絡んでいくのか、それを想像しながら見ていく楽しさ、そしていつもいい意味で裏切られる爽快感。クドカンの真骨頂ですね。

古典落語のストーリーが、現代を舞台にしたストーリーとうまく絡むことが可能だということ、それはすなわち、古典落語の中に潜む「おもしろさ」の本質は、現代社会においてもかわらないのだということを示しているんだと思う。ただ、ドラマの最初の方でも西田敏行がいっていたように、舞台となっている江戸時代の社会についての基本的な知識がなければ、古典落語のおもしろさはわからない。それはたしかに仕方のないことなのだけれど、その基本的な知識がない人にとっては、解説がないとわからない。でも、笑いは瞬間的、即応的なもの。解説されて「ふむ、なるほど」といっているうちに、おもしろさなんてどこかにいってしまう。で、結局は「知っている人たち」どうしが楽しんでる、閉鎖的な文化になってしまった。

それはそれでいいことなのかもしれない。下手に大衆に迎合するよりも、閉鎖的なほうが文化としての本質は残っていきやすいだろうから。でも、小虎が「俺がおもしろいっておもったものは、みんなにきかせてやりてぇ」と言っていたように、古典落語の「おもしろさ」の本質を、たくさんの現代の人たちに、わかりやすい形で伝えていくこともまた、古典落語という文化を残していくために必要なのだと思う。

何かを伝えるということは、伝言ゲームを思い出せばわかるように、マスターを変化させていく過程である。でも、どんなに変化しても、マスターのなにがしかは残っているわけで、その残っているものがそのものの本質なんだと思う。このドラマを通してクドカンが伝えたいのは、そういうことなんじゃないのかなぁ。