運動の力

県議会の与党会派(自民、公明県民会議、県民の会、県政会)の代表者は二十四日午前、米軍再編の与党案を協議し、米軍普天間飛行場の県外・国外移転を政府に求め、日米特別行動委員会(SACO)で合意した名護市辺野古沖への移設計画を事実上見直す方針を決めた。(沖縄タイムス 5月24日夕刊)
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200505241700_01.html

 ようやくここまできたか、という感じ。これまで辺野古で反対運動を続け、「建設着工」という既成事実をつくらせずにきた成果である。座り込みの現場では、みんな涙を流して喜びを分かち合っていたという。米軍基地をめぐる運動では、「報われた」という瞬間を迎えることはほとんどない。しかもこの闘いは、長期的かつ継続的なものだけに、喜びもひとしおだったと思う。ほんとうに、ほんとうにごくろうさまでした。

 もちろんこれで辺野古への移設がなくなったわけではない。そもそも移設のイニシアティブはアメリカ政府に握られているのだし、日本政府もアメリカの味方。このような状況のなかで、合意が形成できないでいた沖縄には、抵抗力などなかった。その中で、なんら公的なサポートも得ることなく、ひたすらに反対運動を続けてきたその力が、ようやく県政与党に「辺野古見直し」を決断させ、沖縄に抵抗力を取り戻したのだといえよう。

 あとは、この抵抗力を日本がどう汲み取っていくのか。まずは辺野古への移設をストップさせることだろう。つづいて沖縄県内への移設という愚策を放棄すること。もうこれ以上、同じ苦しみを沖縄に負わせるわけにはいかない。そしてもう1つ重要なこと。それは

     辺野古に目をむけること

 普天間基地の移設問題が生じて以来、辺野古は翻弄されつづけてきた。そして辺野古は、移設について、いらないともいえず、引き受けるともいえないという、失語状況におちいってしまった。「反対運動をしている辺野古」のなかに、加わることのできない住民はたくさんいるのである。

 ようやく問題の解決の糸口がみえはじめてきたいまこそ、基地問題にゆれる辺野古ではなく、人々の生活の場としての辺野古に目をむけてほしい。基地はほしくないのに、「ほしくない」という言葉を奪われてきた辺野古に目をむけてほしい。切に、そう願う。