攻めと守りの非対称な関係

沖縄県宜野湾市の米軍基地、普天間飛行場を名護市辺野古沖合を埋め立てて移設するという「普天間基地移設問題」。問題がおきてから9年、防衛施設局辺野古沖合の地盤の強度を調べるためのボーリング調査に着手しはじめてからも1年以上がすぎた。特にボーリング調査に着手しはじめてからは、辺野古では、移設に反対する市民が連日、1日も休むことなく座り込みを、昨年9月からは海上での阻止行動もあわせて続けている。

4月26日未明、施設局は闇夜にまぎれて辺野古沖合に作業船を展開、すでに建設してある“やぐら”に金網をはりめぐらし、反対運動による阻止行動の防止にかかった。この日より反対派の市民は、24時間体制での阻止行動を余儀なくされた。

反対する市民は、いつ防衛施設局がやってくるかわからないため、いつきてもいいように常に座り込みを継続しなければならない。そのため、たいへんな労力、体力、忍耐力が要求される。一方で施設局のほうは、自分の意思や都合で動けばよいので、反対運動側と比べれば、コストは格段に低い。しかも、少ないコストで、敵に対して多大なコストを課すことができる。

守備側は攻撃側の行動を事前に知ることはできない。だから、行動を予測するしかない。その予測は、攻撃側のこれまでの行動に基づいてなされる。つまり、相手の過去の行動に依存している。今回の“闇討ち”で、守備側は完全な24時間体制での阻止行動をせざるをえなくなった。たった一度のコストを払うだけで、施設局は、守備側に多大なコストを課すことに成功したのである。

この、攻めと守りの非対称な関係。強者と弱者の非対称性といいかえることもできるだろう。この非対称性のなかに、沖縄や、名護や、辺野古や、市民が、まきこまれている。その不公正さこそが問われるべきではないのだろうか。