飯島勲への反論

本当に久々の更新です。ネット上での情報発信は完全にfacebookに移行してしまっているのですが、今回はあまりに酷い記事をみつけたので、オープンアクセスなメディアであるブログで反論することにしました。

その記事とは、小泉純一郎元総理の首席秘書官であり、現在は内閣参与(特命担当)である飯島勲による「実は住民大歓迎、米軍基地の辺野古移転」(『PRESIDENT』 2013年9月30日号)です。

以下、この記事を逐次引用しながら批判していきます。

当時から移転先として有力視されていたのは、名護市の辺野古崎周辺に広がるキャンプ・シュワブの沖合だった。撤去可能な海上ヘリポートを設置するメガフロートは、橋本首相の肝いりで約1兆4000億円の予算を投入し、国内の造船業が総力を結集して開発した。この「海上案」は、当初から移転先決定の条件としていた、安全、騒音、環境の3つの問題をすべてクリアする画期的な提案だった。

しかし、沖縄がこれに抵抗した。当時の稲嶺恵一知事は、沖縄県の経済的メリットが少ないという理由で埋め立てによる軍民共用空港の建設を主張。これがいわゆる「浅瀬案」で、政府側は受け入れたものの、反対派が「ジュゴンの海を守れ」などと阻止活動を活発化させ、移転問題はこう着状態に陥った。

稲嶺前知事が軍民共用空港の建設を主張した際、彼は「15年使用期限」についても条件に加えている。この使用期限については結局政府によって一顧だにされなかったのだが、要するに稲嶺氏が避けたかったのは米軍基地の固定化である。
メガフロートだと沖縄の土建業では技術不足によって仕事が得られないから、という理由ももちろんあったが、それは数ある理由のうちの1つでしかない。それを「沖縄県の経済的メリットが少ないという理由で埋め立てによる軍民共用空港の建設を主張」と言い切るのは、恣意的に過ぎる。


小泉内閣は、住宅地上空を避けるための離陸用、着陸用の2本の滑走路を辺野古沖に建設する沿岸部案(X字案)を米側に提案する。周辺環境にも配慮した現実的な案だった。米側との交渉の過程で、X字案では、わずかだが着陸用の滑走路を使用する際に住宅地の上空を通過する可能性が判明したため、滑走路の位置を修正し、V字案で最終合意することになった。つまり「安全面」での配慮は十二分にされている。

離陸用、着陸用に滑走路を分けて使用するなんてことを米軍が守るなんて、誰も信じてはいない。「軍事上の必要」があれば、そんな約束はすぐに反故にされる。安全面への「配慮」はなされているかもしれないが、安全が「保障」されているわけではないし、ていうかされていない。

メア氏はその後、失言問題などで米国務省を退官して、最近は日本のメディアで評論活動もしている。テレビで見かけることも多く、懐かしく思う。

そんなことはどうでもいい。ほんとうに。
自分の交友歴の広さを自慢したいのかも知れないが、この差別主義者と仲が良いことをアピールすることは、マイナスにしかならない。

実際に交渉に参加して私が最も誇りに思うのは、日米交渉の歴史の中で、このV字案こそが、日本側の提案を米国が丸のみした初めての合意案だったことだ。

「日本側の提案を米国が丸のみした初めての合意案」を誇りに思うという時点で、いかに日本がアメリカになめられているのかがよくわかる。
実際にアメリカと交渉するのは大変なことだとは思う。でも、このくらいのことで「誇りに思う」とか言われてもなあというのが正直なところ。

海兵隊キャンプ・シュワブの使用を開始したのは56年だが、まだ小規模で、翌57年に本格的に着工。近隣の土地が訓練所や施設として次々に提供され、基地の敷地面積は拡大した。50年代の沖縄では島ぐるみで軍用地反対運動が展開されており、米軍側も配慮して基地の拡大には慎重な時期だったが、なぜか辺野古キャンプ・シュワブは急速に拡大している。

シュワブの使用開始を56年とし、近隣の土地が訓練所や施設として次々に提供されたとしているのは、沖縄県基地対策室発行の『沖縄の米軍基地』におけるキャンプ・シュワブの沿革を踏まえてのものだろう。確かに同書には、

○ 昭和31年11月16日「キャンプ・シュワブ」として使用開始。
昭和32年7月1日「キャンプ・シュワブ訓練場」として追加使用開始。
○ 昭和34年7月1日「キャンプ・シュワブLST係留施設」として追加使用開始。

とある。だがこれは、正確にはシュワブ建設の過程を追ったものと理解すべきであり、米本国より海兵隊員約2,000名が移駐してきたのは1959年(昭和34年)9月3日である。この日から実質的にシュワブの使用は開始されたといってよい。「基地の拡大には慎重な時期だったが、なぜか辺野古キャンプ・シュワブは急速に拡大している」といっているが、これは元々の建設計画が遂行されていったからであって、辺野古が次々と土地を提供していったということではない。
そしてそもそも、米軍が基地の拡大に慎重であったことなど、一度たりともなかった。いや、慎重であったことはあるかもしれないが、基地の拡大を諦めたことは一度もない。
この文章は、この後に続く「辺野古がシュワブを誘致したのだ」という飯島の主張を補強するための意図的なミスリーディングである。


キャンプ・シュワブは急速に拡大している)その理由は、住民の意思による基地拡大だったからにほかならない。経済的に厳しい状況に置かれていた辺野古地区では、村の発展の決め手として米軍誘致を決定、村長が村議会議員全員の署名を集めて、米軍の民政長官に陳情したという。慎重に対応していた米軍側も、村の熱心な陳情と、海兵隊の訓練場の必要に迫られたことから、誘致に応じたそうだ。
当時の辺野古地区では地主の8割以上が自ら望んで米軍と契約したという記録があり、59年の基地完成の際には大規模な祭りも開催された。沖縄は戦前から県庁所在地の那覇を中心に、南部の開発が進んでいた。米軍基地も南部に集中しており、北部側は長い間、経済格差に悩まされていた。貧しい北部の村々が、雇用促進、電力、水道などのインフラ整備、米軍病院による医療サービスの充実などを求めて米軍を頼ったというのが、基地誘致の背景だ。

これはあまりに恣意的な解釈。

久志村(現在の名護市東部。含む辺野古)に対して山林の接収が米民政府より予告されたその3日前に、宜野湾市伊佐浜では米軍によって強制的に土地を奪われている。もちろん補償などない。そのことを知った辺野古の有力者たちは、「なんの補償もなく山林を奪われたら、辺野古は生活できなくなる(当時、辺野古住民の多くは、山林にはいって薪を採取し、燃料として売ることで生計を立てていた)。そうであれば、むしろ米軍と土地賃貸契約を結ぶことで地代を得るとともに、建設作業や建設後の基地に住民を優先的に雇用してもらうことなどの条件をつけた上で受け入れるしかない」と判断し、米民政府との交渉にはいったのである。
つまり「基地誘致」などでは決してない。「来てほしい」なんて一言もいっていないのだ。

飯島はNHK出版の『基地はなぜ沖縄に集中しているのか』を読んで分析したと書いているが、その本の48ページには、当時の辺野古の有力者がラジオで語った「私の意見」の原稿が引用されている。

「(沖縄本島)北部特に辺野古の場合に於て(中略)軍に土地を利用させると言ふ事が、区民にどれ程利益を与へるかは火を見るより明であります。(中略)相手方の考え方、力を知らない上、自分の力も、わきまへず、自分の立場もわきまへずに戦ったら、いくら戦っても危いものだ」

米軍に土地を提供することによる経済的な利益への期待はもちろんあるのだが、その背景には、抵抗しても米軍には勝つことができないというあきらめがあることがよく伝わってくるだろう。この文章を読んだのであれば、米軍を誘致したなどとは決していえないはずだ。

このように自ら軍事基地を誘致し、お祭りまでしておいて「騒音問題」で、目くじらを立てるのはおかしい。これで、安全と騒音面での課題はクリアした。残りは、環境である。

飯島は、シュワブ「誘致」の事実をもって「騒音問題で、目くじらを立てるのはおかしい。これで、安全と騒音面での課題はクリアした」と書いているが、シュワブにあるのはヘリパッドだけであり、戦闘機やオスプレイが配備される普天間代替施設とは施設のタイプが全く異なる。現在も騒音がないわけではないが、普天間とは雲泥の差である。
それにそもそも、なぜ一度基地を受け入れた地域が、次の基地も受け入れなければならないのか。それはただの「不正義の連鎖」でしかない。

なお、辺野古に通い始めてそろそろ10年になるが、シュワブ完成時に祭りが開かれたなどと言う話はこれまで聞いたことがない。2000人の米兵がシュワブに移駐してきた1959年9月3日の様子について、『琉球新報』が「部落入口には前夜急ごしらえに用意した「ウェルカム・マリン」の横断幕がはられ、その下で部落民がさかんに歓迎の手を振っている」という記事を残しているが(1959年9月4日付夕刊)、このことを指して「祭り」とまではいえまい。


現在の辺野古には、東京からカネを巻き上げることしか考えない住民、他県出身の反対派左翼運動家も流れこみ、ますます事態を複雑にしてしまった。彼らの主張の1つは「沖縄の海を守るために、辺野古沖の埋め立ては認められない」というものだ。

「東京からカネを巻き上げることしか考えない住民」という言い方は差別と偏見に充ち満ちている。そんなことを言われた辺野古の「誘致派」は激怒するだろう。たしかに金銭補償を訴える住民はいるが、それは、普天間代替施設が建設されても、新たに軍用地が増えるわけではないからという事情がある。米軍基地の場合、原発とは違い、受け入れることで自動的に入ってくる補償金はほとんどない。その意味で辺野古住民にとって普天間代替施設の受け入れは、それ自体にほとんどメリットはないのである。だからこその金銭補償だということを理解すべきである。

沖縄の海岸では、大規模な埋め立て工事が戦後数多く行われており、総面積は2628ヘクタールで、全国で8番目(2012年度)に広い。一方で、辺野古沖の埋め立て計画は160ヘクタールにすぎない。10分の1にも満たない面積だ。それでも反対派は「海に悪影響」というかもしれない。那覇空港の滑走路増設事業でも辺野古沖とちょうど同じ160ヘクタールの埋め立てが予定されているが、辺野古のような反対運動が起きているとは聞いたことがない。米軍基地の埋め立ては環境に悪いが、民用地の埋め立ては環境にいいのだろうか。そうでないなら「環境」の問題もクリアしていると言える。

この稚拙な論理はいったいなんなんだ。これまで埋め立ててきたからもっと埋め立てていいということにはならないだろうし、那覇空港の拡張による埋め立てに反対しないのなら普天間代替施設の建設による埋め立てにも反対できないなんてことももちろんない。
那覇空港沖の海と辺野古の海は同じではないし、つくられる施設も違う。全く違う問題を「環境」で強引に括り、那覇空港拡張による環境破壊に反対しないのであれば、普天間代替施設建設による環境破壊にも反対できないというのは、むちゃくちゃである。
しかも、だから環境の問題もクリアしているなんて、言えるわけがないだろう。

辺野古のV字案は、安全、騒音、環境のすべての条件を満たしている移転案だ。安倍内閣は粛々と基地移転を進めるべきだ。ありもしない問題を「問題だ」と騒ぐ連中を相手にしては何も進まないのだから。

普天間代替施設がどのような基地であるのか、一言も触れていないこの記事を読んで「安全、騒音、環境のすべての条件を満たしている」と思う人がいたら教えてほしい。飯島がいっているのは「辺野古も、沖縄も、この計画に反対する資格がない」ということだけである。反対する資格がない人など誰一人いないのだが、百歩譲ってそうだとしても、反対する資格がある主体がいないからといって、「安全、騒音、環境のすべての条件を満たしている」ということになるはずがない。


もしこの記事が、意図的に無知を装うことで特定の人たちを騙そうとして書かれたのでなければ、飯島という人物に「内閣参与」を務める能力はないと思われるので、即刻解任すべきである。