インパクション 沖縄特集

有り体に言ってしまえば「左翼系論壇誌」とカテゴライズできる『インパクション』という雑誌があります。

そのインパクションの最新号の特集タイトルが「沖縄 何が始まっているのか」でした。
執筆者や記事のタイトルをみて尻込みしつつも、大阪大学の冨山一郎さんが書いた冒頭の紹介文のなかに「新しい政治の言葉、新しい運動論を正面から考える必要があるのではないか」という一文があり、そこに興味を惹かれて購入。1365円也。



これが、実によかった。


それぞれの記事もそれぞれによかったのだけど、特筆すべきは冨山一郎さんを司会にすえて開かれた、新垣誠(沖縄キリスト教学院大学)、阿部小涼(琉球大学)、鳥山淳(『けーし風』編集運営委員)の3氏による、35ページにもおよぶ鼎談。


現在の基地反対運動への違和感、沖縄のひとたち(特に若者たち)の閉塞感、歴史教科書問題への抗議として開かれた県民大会に対する冷静な分析、大学人としての使命感などなどについて、濃密な議論が繰り広げられていました。


ようやく、こういう議論が公の場でなされるようになったのか、という感じ。


内容をまとめるのは大変なので、いくつか印象にのこった箇所を。


って、「いくつか」どころではなくなってきた・・・


「復帰後にうまれた復帰後世代の若い人たちを取り巻いているある種の閉塞感を議論の論点として据える必要があるのではないか」


「これまで復帰運動において培われ、復帰後の沖縄政治を牽引してきた革新共闘を軸とした政治ブロックとは異なる政治の可能性を考える必要があるのではないか」


「(阿部さんらを中心に繰り広げられている、若者主体の基地反対行動「合意してないプロジェクト」について)いわゆる「若い人」たちがどう見ているかというのはあまり聞いたことがない。意外と、ほら、オジサンたちは「きみたち面白いことやってるね」とか(笑)。年長者受けしているだけかもしれないです」


「地元というと、「これは地元の声です」とか、「地元の人の意見が大事だ」という、その言い方自体がすでに運動を分断したり細分化させるためにしか使われていないのです」*1


「外部のNGOや運動体が、入ってきて、逆に地元の、そこの地域住民の自立の力だとか、自分たちで考えて行動する力をさんざん奪っていくという結果が生まれている」


「(名護)市民投票を実現していったプロセスは「生活のために」反対するっていうことだったし、それは嘘ではなかったと思うけれども、しかし「生活のために」という話が別のところに転んでいったということも、その後の名護の10年間で見えてきたことだと思うんですよね」


「問題はそこの人たち(=移設賛成の人たち)をどうするのかっていうところに、やはりもう少し注意が注がれるべきだったところを、結局、意見の対立構造を前提として、運動家たちがガーッと入ってきて、賛成派の地域住民からすると、「余所者が何言ってるんだ」といった話になってしまって、結局対立構造の溝をそのまま深めてしまった。その結果、沖縄全体で対話の機会を奪っていったのかなって言う気がすごくして」


「そんな中で「(復帰運動の)延長戦」が終わってしまったことを認めるしかなくなったのが1990年代だったのかな・・・」


「「官憲や国家権力に抗うのはもう無理だよ、受け入れざるをえないというのが正直なところで、振興策なんかたいしたお金にならず箱物ばかり作って、結局借金が積もるばかりとわかっているけれども、これ、しょうがないよ」っていう声が厚みを増して胚胎されているところにこそ問題がある」


「周りの学生との間でも、政治的な匂いがする話は、なかなかできないわけですよ。基地がどうとかっていう話は。もし話をしたら「危ない奴」というふうに見られるかもしれないし、そうでなくても突っ込んだ話をしたら、利害の対立とか、社会観の対立でギクシャクするかもしれない。だから・・・別のかたち(=先住民族としての沖縄の権利を主張する)で自分たちの抑圧された境遇を語れるんだという開放感・解放感」


「反基地運動やる若者に対しては、いいのか、こんなことやって、変人と思われるぞ、ということで、みんなが変人としての眼差しを向ける、そういう世代なんですよね。でも、だからといって基地の状況が正しいとも思っていないし、どうにかしないといけないとも思っている」


「(先住民族という立ち位置からの若者の発言に対して)復帰運動の夢と挫折にまみれたオジサンたちが、スッキリした、溜飲が下がった、よくぞ言ってくれたって、・・・復帰運動の延長戦のものとしてとらえて、溜飲を下げられては困ると、誰かが早く言わないといけないんでしょうかね。」


「教科書問題では、基地問題に比べて利権をめぐる分裂が起こらない」


「これまで自分が参加するということを考えもしなかったような人たちが「行きます」という話になるのは、「超党派」だけでは説明がつかない気がしますね」


「(北谷で米兵にレイプされた少女が告訴を取り下げたことについて)個人として攻撃されるのはこれ以上は嫌だから、家族も嫌だから、引きます、でも、社会に対してはちゃんと問題は提供しましたっていうやり方だったと思うんですよね」

うん、改めて読み直してみましたが、やはり画期的な鼎談ですね。
ここで言われていることの多くは、沖縄の日常のなかで―使う言葉は違うでしょうが―言われていることだと思います。
それを敢えて、批判を恐れることなく、左翼系論壇誌であるところの『インパクション」でやったことの意義は大きいと思います。


それにしても阿部さんについてはずいぶん誤解してたな、自分。その方に会うことなく、話もせずに、印象だけできめつけてしまってはいかんなと、改めて反省。

*1:この点について、「辺野古住民と運動との分断」を強調した論考を重ねてきた自分は、深く反省をしなくてはならない。