偶然の出会いin宮崎with沖縄

hirokuma2007-12-28

昨日から実家のある宮崎に帰省しています。さっそく姪っ子にメロメロですw 久々に年末年始の帰省をしたのはこの子に会うためと言っても過言ではありません。

今回は帰省中にやることが多く、しっかりと飲みに行けそうなのが帰省初日である27日だけになりそうだったので、さっそく飲みに行ってきました。

その飲みに行く途中で、新しく宮崎にできたTSUTAYAに寄ったときのことです。

宮崎初出店のTSUTAYAは、書店がかなり充実しており、これまで県内ではほとんどみることのなかったちくま学芸文庫や理工系の専門書もおいてあります。

あと、郷土本もそれなりにそろっており、かつて宮崎の土呂久(とろく)でおきた鉱害問題を闘った人たちの当時とその後の歴史をまとめた「土呂久からアジアへ」(アジア砒素ネットワーク代表 上野登著)を購入すべくレジに向かいました。

この手の本は研究費でおとせるので、領収書をかいてもらわなくてはならないのですが、これが実は面倒。

昨今は領収書の宛名書きも細かくなっており、大学名、学部名、職責名、フルネームを書いてもらうことになっているからです。これだけの文字を書いてもらうのも説明するのも時間がかかるので、だいたいブランクにしてもらい、あとで自分で書き入れることにしているのですが、その旨を店員さんに伝えると、店の指導で店員が直接書かなくてはいけないことになっているというので、仕方なく「早稲田大学助手○○」と簡略式で書いてもらうことにしました。

すると、その店員さんが「早稲田大学だったら多田先生を知りませんか」というのです。

たしかに知ってます。よ〜〜〜〜〜く知ってますよ、タダオサムさんは。

ですが、「多田先生」が「タダオサム」であるとは限りません。

ところがその店員の胸元には、明らかに沖縄の名字が書いてあるのです。この青年がいうところの「多田先生」が、われらのタダオサムをさしていることに間違いはありません。

その店員は宮崎の大学に通っている沖縄出身の大学生で、社会学基地問題に強い関心を抱いている彼は、ネットで調べてタダオサムに行き当たり、沖縄に帰省したおりに多田先生の講義に出させてもらい、その後食事にもいったというのです。

さらに勉強熱心な彼は、多田さんのブログを通して僕のことも少し知っており、なんと当「くまよむ」にも訪れたことがあったのでした。

なんという偶然!

その偶然の出会いを無駄にしてはならないと、さっそく彼を飲みに誘ったところ、TSUTAYAのバイトはなんと深夜1時まで。


待ちました。待ちましたとも。

かくしてバイトを終えた青年はわたしたちと合流し、沖縄のこと、社会学のこと、学問のこと、これからのことを熱く熱く語り合ったのでした。

彼の、若さゆえの(一回り年下!)純粋さと熱は、同じく沖縄のことを考え、学んでいる自分にとって、大いなる刺激となりました。この偶然の出会いに感謝です。

午前4時を過ぎた宮崎の夜の街が温かかったのは、きっと、宮崎が南国であるというだけではなかったはず。