カナダ人とはだれのことか?

この間の水曜日、カナダ在住の宮崎県出身女性、Aさんと会う機会がありました。


この方は、妹のお姑さんの妹さんで(ややこしいな)、結婚を機にトロントに移住して30年になるという女性です。


当ブログを介してコミュニケーションをとるようになり、宮崎への帰郷の途中で東京に一泊されるのを機に会ってきたのです。


そのAさんとの、初対面なのに3時間にもおよんだマシンガントーク(しかも弾の撃ち合いw)は、ひじょうに充実したものでした。


なかでも印象的だったのは、「カナダ人って誰のこと?」という言葉。


カナダ大使館のサイトには以下のような説明があります。

現在、イギリス系、フランス系、先住民族以外の出自を持つ人々がカナダの全人口に占める割合は5分の2に上っています。
2001年の国勢調査によると、カナダ人の18.4%が、カナダ以外の国で生まれた移民一世であり、カナダ人の18%は複数の母語を持つか、公用語である英語やフランス語以外の母国語を話します。
トロントだけでも、日刊、週刊、月刊あるいは季刊の様々な言語による出版物が100種類以上発行されています。

こんな多民族国家カナダにあっては、カナダ国民はいても、明確な「カナダ人」というイメージが形成されていないということなのです。

国民とは「想像の共同体」であるというベネディクト・アンダーソンの有名なテーゼは、こういうところでリアリティをもつのだと思います。


そんな国だからこそ、カナダには、差別もあるし、そして自由もある。現在の日本の、−差別とは異なる審級で展開されている−同質性のもとでの「いじめ」や、社会全体を覆っている閉塞感とは異なるものを、Aさんとの会話の端々に感じました。


あと興味深かったのは移民に求めるものの違い。


日本だと、そもそも移民を受け入れるという意識自体が希薄なのですが、それでも受け入れる場合、それは往々にして、肉体労働者や老人介護のヘルパーなど、日本人があまりやりたがらない、けれども必要とされている仕事に従事する人たちだったりします。


でもカナダは違う。あの広大な国土に3000万人程度の人口しかいないカナダ。なので、毎年移民を受け入れ続けなければ、地域社会が
成り立たないのだそうだ。しかも求められているのは、ちゃんと学問を修めたテクノクラート。カナダの若者の多くが、アメリカで職を得てここには戻ってこないため、それを優秀な移民によって埋めようというのである。


もう、根本的に、日本とは違うんですよね。「国民」のイメージが。


「共生社会」をキーワードにした研究プロジェクトの研究費申請書を書き終えたばかりだったので、なおさらに身にしみました。




う〜ん、カナダいってみてーなー