東京→名古屋→東京

今回は備忘録がわりの日記。

金曜から土曜にかけて、昨年12月に発足した、社会運動論系の研究会に出席するため、名古屋にいってきました。研究会は今回が3回目。修士のころは専門にしていた社会運動論ですが、このところはご無沙汰だったので、ようやくリハビリがおわってきたかなという感じ。

今回は往復高速バスを利用。往復新幹線をつかうより、時間は9時間かかるけど、運賃は13000円安い。僕はバスで本を読んでも全く酔ったりしないので、片道5時間半の道のりは、ちょうどいい読書時間だ。

朝8時に東京駅を出発。行きはバスも道もさほど混んでおらず、快適。佐藤慶幸先生の退職記念論集『市民社会と批判的公共性』を読み返す。このあたりの議論を捉え直すことも研究会の主眼の1つなのだ。

途中、3つのサービスエリアで休憩。そのうち2つにスタバができていて、混んでいた。うまいところに目をつけたものだ。

13時半名古屋着。ずっと食べ損ねていた「矢場とん」を食べにいくも、まだ混んでいる。お腹はすいていたが、時間節約のため先に駅近くのホテルにチェックインする。戻ってくるとちょうど空きはじめていた。カウンターに座り、味噌ロースかつ1155円を注文。ようやく八丁味噌のおいしさがわかってきた気がする。和辛子との相性がいいということもわかった。

地下鉄で中央大学のある八事(やごと)に向かう。丸の内で鶴舞線に乗り換えると、斜め向かいの座席に茶髪、フワフワ巻き毛、ぱっちりメイクの典型的「名古屋嬢」が座ってきた。彼女は座るや否や、小さな彼女の顔と同じくらいの大きさの鏡をとりだし、マスカラを塗り始める。と、2駅もいったところですぐに下車。恐るべし、名古屋嬢

15時過ぎに中京大学到着。16時に研究会開始。良心的支持者についての議論、水俣の運動における「思想」の終焉についての意見などが印象に残った。沖縄の反戦平和運動においては、思想は未だ残っている。しかしその思想は、そこから社会を変えていくような思想ではなくなっているのではないだろうか?

20時半までの研究会だったが、長さが全く気にならないほど刺激的な時間だった。その後、大学近くにある「美ゆき」へ。ここでは味噌かつならぬ味噌おでんが頂ける。スジや大根、タマゴなど、実にうまい。セルフでとってきて、串の数で精算というスタイルも、待たされずにすむのでよい。

23時にお開き。地下鉄を乗り継いで名古屋駅へ。宿はカプセルホテル並の部屋の小ささだったが、どうせ寝るだけだ。シャワーを浴びて就寝。

17日。7時起床。シャワーを浴び、チェックアウトして名古屋駅へ。名古屋名物のモーニングを食べさせてくれる喫茶店に。コーヒー(500円)を頼むと、パン、バナナ、ゆで卵、スープが食べ放題。お昼は食べられそうになかったので、ここで多めに食べておく。

9時発の高速バスにのりこむ。行きのバスの運転手と同じ運転手だった。昨日の午後は休みだったのだろうか。それとも別の路線をもう一往復くらいしてきたのだろうか。できれば前者であってほしい。

帰りのバスでは横山秀夫『臨場』を読破。久々に小説をじっくり読む。彼の本は初めて読んだが、主人公のキャラがよくたっていて、謎解きの要素もあり、かなり面白い。ややパターナリスティックなところはあるが、刑事物だったからなのかもしれない。

首都高の渋滞にはまり、30分遅れで15時半着。その足で大学の図書館にむかう。図書の延滞が結構やばいことになっていたからだ。反則点10点をもらったが、貸し出し停止には至らず。

ついでにいくつか論文をコピー。新着図書コーナーに佐伯一麦『石の肺 アスベスト禍を追う』があったので、衝動的に借りる。

しばらく図書館ですごし、帰宅。疲れているはずなのだけど、なぜか目はさえている。昨日の研究会からうけた刺激が持続しているのだろうか?

研究会の中で思いついたことをワードでまとめ、備忘録がわりの日記をうち、3時就寝(の予定)。