専門社会調査士

今日、専門社会調査士の資格認定申請をしてきた。


“しゃかいちょうさし”と入力すると“社会調査し”としか出てこない(by ATOK15)ほどマイナーな資格である社会調査士は、社会調査の質的な改善や水準の向上をめざすために、きちんとした指導のもと、社会調査を担当する人材を育て上げ、専門的職業としての社会調査士を確立するべく、日本社会学会など3学会が中心となって2004年度から認定された、新しい資格である。


本来であれば、大学に設けられているカリキュラムをこなし、単位を取得したうえで社会調査士(および修士課程での教育を受けたものは専門社会調査士)の資格を得ることになるのだが、それでは僕のようにそういうカリキュラムができるより以前に修士課程を卒業した人たちはこの資格をもらえないということになってしまう。


それでは困る、ということで、そういう人たち向けに、社会調査をもとに書かれた論文なり著書なりがあれば、専門社会調査士として認めてあげましょう、という抜け道が用意された。今日申請したのは、この「抜け道」だ。


申請料4万円ナリ。・゚・(ノД`)・゚・   


これで落ちたらシャレにならない。とりあえずレフェリー付きの論文があるので、それを審査用の論文として出すことにし、あとは履歴書、業績書のところで、「ほら、こ〜んなにいろんな調査やってきてるんだよ」ってことをアピールするために、ちょっとでも社会調査に関わることはすべて、書き込んでおいた。なので資格認定機構様、私に専門社会調査士をくださいましm(_ _)m


まあ、それはさておいて、この社会調査士という資格について考えてみよう。


たしかに世の中に流通する社会調査には、いい加減なモノが多い。特にマスコミがやる世論調査や行政がやるアンケート調査にいい加減なモノがおおいのだが、その原因の1つに母集団の曖昧さがあると思う。ちゃんとサンプリングされていない、というレベルならまだしも、そもそも母集団として想定されているもの自体が曖昧なものも多いように思う。サンプルの数もずいぶんと少ないモノもあるし。


こうしたいい加減な調査によって出された数字が、世論として報道されたり、市民の意見として政策の正当性を担保することになる。だからこそ、社会調査についての適切な教育をうけた社会調査士の存在が必要なのだろう。


ただし、社会調査士がどれだけがんばったところで、適切な社会調査がなされるようになるとは限らない。なぜなら、適切な社会調査をやろうとすれば、ものすごく手間と時間とお金がかかるからだ。だから、鮮度が命のマスコミは特に、社会調査士による社会調査を嫌うんじゃないだろうかと思う。


こうした難しい問題をはらんではいるが、社会調査士という資格がもっと広く認知されていく必要はあると思う。民主主義を適切に機能させるためには、適切な調査による適切な民意の提示が必要だからだ。


もっとも、何かといっては「役にたたない」「金にならん」といわれる社会学という学問の社会的な地位向上という目的もないわけではないけど。


ということで資格認定機構様、私に専門社会調査士をくださいましm(_ _)m