06年安保

昨晩まで3夜連続で放送されていたNHKスペシャル「変貌する日米同盟」。3日ともみました。それぞれについていいたいことはありますが、きりがないので詳細については書きません。とりあえず、内容はさておいて(本当はさておけないのだけれど)NHKがこれだけの特集を組んだこと自体には意義があったということだけはいってもいいかなと思います。


それにしても「米軍再編」という言葉はよくないですね。米軍主導で、日本は関係ないかのように聞こえてしまう。日米安全保障協議委員会(2プラス2)は、「共同発表」で「再編案の実施により、同盟関係における協力は新たな段階に入る」と強調しているように、これは日米の安全保障の問題なのに。


こういう言い方はやや乱暴ですが、日米安全保障条約の改定が絡んでいないとはいえ(「新たな段階」に入るためには、いずれからんでくるでしょうが)、今回の米軍再編は、本質的には「06年安保」ともいえるようなものだと思います。


「安保」という言葉からは「60年安保闘争」「70年安保闘争」という、闘争の匂いが漂ってきます。だから、「06年安保」という用語を使うことは、あの過激な闘争を想起させ、基地問題への偏ったアプローチを促進し、一般の人たちとのあいだに距離を生じさせる可能性があります。しかしその一方で、「日本がアメリカに対してどう対応するのか」という、日本サイドの主体性を想起させる言葉だとも思うのです。そしてもっと重要なのは、「米軍再編」という価値中立的な言葉からは生み出されようもない、「何かマズイことになってるんじゃないか」というイメージを多くの人たちに抱かせることができるのではないかと思うのです。


ことは、「米軍再編」という言葉から想起されるような、なまやさしいことではありません。米軍と自衛隊との一体化が図られるということは、アメリカに対して向けられる憎悪を日本も引き受けるということなのです。日本の防衛が重要だ、という意見がありますが、重要なのは防衛ではなく、日本が平和であることであり、世界が平和であることであって、防衛はそのための手段でしかありません。防衛力を高めることによって敵を増やすという結果を引き起こすのであれば、本末転倒です。


百歩譲って日本の防衛が必要だという意見に与するとしても、それは米軍との協力関係を深めることによって達成すべきではないし、ましてや自衛“軍”を創設することでもありません。周辺の国々の警戒心を高め、潜在的な危険性を高めるだけでしかないのですから。


アメリカへの敵意が、軍事行動のみに由来するのではなく、グローバル化した経済市場においてアメリカが行使してきた合法的な暴力にも由来していることに鑑みれば、日本もまた、同様の敵意を他国より抱かれる危険性はあります。その危険性に備えるために、日本がとるべき方法はなにか。軍事力を背景とする防衛力の増強なのか、経済力を背景とする他国との協調なのか、あるいはもっと他の、実現可能性の高いアイディアがあるのか・・・そういう議論が、いまこそ求められていると思います。これこそが「06年安保」の、あるべき姿なのではないでしょうか。