沖縄調査報告

戻ってきてからばたばたと忙しく、なかなか報告できずにいましたが、きのう研究会でも調査について報告したことだし、こちらでも報告しておこうかと。研究会ではオフレコなネタ満載だったのですが、ここは一応誰でも閲覧可なので、ちょっとおさえめのものになりますが。


・土建業者の苦悩
 今回は、辺野古在住の土建業従事者からゆっくりと話を伺うことができた。その方がしゃべったことをここにアップすることはできないが、相当に疲弊していたことだけはここで書いておきたい。
 今を生きるための自らの行動が、未来の自分自身を苦しめるというつらさ。
 あらためてこの問題の深刻さを思う。

 
・運動と地域の距離
 運動の現場にもいってみたが、海上行動がなくなったこともあり、運動の歴史を伝える場のような雰囲気だった。実際に団体で訪れる人たちも多く、そういう方たちにむけて、どのような運動がなされていたのかについてレクチャーされていた。そのなかで、辺野古の人たちの生活について言及されることはなかった。

 
 運動が地域から離れていってしまうにつれて、かつては運動に参加していた地域住民もまた、運動からはなれていった。その中には、いまでも反対の意志をもって活動しようとしている人もいる。しかし、その場がない。今こそ、運動はそうした人たちの意志を汲み取るような行動をおこすべきだと強く思った。

 
 もちろんこんな状況をつくりだしたのは、運動側だけに原因があるわけではない。このような小さな地域に、基地問題という大きな問題を−おそらくは意図的に−もちこんだ政府の責任は重い。
 ただし僕は、「政府がやったことだから」悪いといっているのではない。辺野古のような地域にこんな大きな問題を持ち込んだということそれ自体の問題性をキチンと定義すること(つまり、なぜそれが「問題」なのか、明らかにすること)が、自分の仕事であると感じている。


・運動の分裂とその修復
 今回の市長選挙で革新の候補が2つに割れたことは、選挙がおわったあと日記にかいた。そのことによって、やはり運動の現場でも混乱がおこっていたようだ。3月5日(今日ですね)に宜野湾市で開かれる県民総決起大会は、辺野古への基地移設を阻止するという本来の目標を再確認することを通してその混乱をおさめるためにも必要な大会なのかもしれない。

 
 今回興味深かったのは、必ずしも運動側に大城敬人氏(かねてより辺野古で反対運動を続けてきた元名護市議の候補者)を支持するひとが多かったというわけではないということ。実際に運動を続けてきた人たちは、候補者が割れてしまったことによって運動が分裂してしまうことをさけたいという気持ちの方が強かったようだ。ひたすらに中立の立場を保とうとしていたのは、選挙後の運動におよぼされる影響を最小限にとどめようという配慮の結果なのだと思う。

 一方で、今現在は直接運動に関わっていないが、かつてはいっしょに行動していたし、今でも反対の気持ちをもっているという方たちには、大城氏を支持する者が多いように感じた。その意味では、現行の運動のほうが、現実に根ざした判断をしていたといってもいいだろう。


・まとめ
 新名護市長は沿岸案に反対の姿勢をくずしていない。辺野古をはじめとする旧久志村(名護市東部)もまた、反対の意志を示している。おそらく、3月には出されるといわれている最終報告で、日米両政府が考えている移設先が正式に報告されるまでは、この状態が続くだろう。

 問題はその後だ。名護市が反対の姿勢を貫けるかどうかは、かなり微妙なところ。運動の出方も問われている。辺野古の住民もまた、具体的な判断を迫られることになるだろう。

 これからも、この問題からは眼を離せない。