あることをしなければ生活ができないという状況について

この冬はほんとに寒いですね。我が郷里、宮崎にもすでに2回、雪が積もったようです。宮崎には高校卒業までの18年間過ごしていましたが、雪が積もったのをみたのは小学校のときにただ一回だけ。たいして積もってもいないのに雪合戦を試み、泥だらけになった記憶があります。


そういうところに育ったせいか、今でも雪が降ると軽い興奮を覚えます。寒いときに雨が降っていると、どうせなら雪になればいいのにと不届きなことを思ったりしてます。


でも、このところの日本海側の大雪はすさまじいですね。まだまだ降り続くようで、本当に大変なことだなと思います。


中でも大変だなと思うのは、かの地の住民は、雪下ろしをしなければ、家が壊れてしまうという状況の中で生活をしているということ。つまり、雪下ろしをすることは、仕事よりも、勉強よりも、デートよりも、なににもましてしなければならないことなんですよね。

そういう、あることをしなければ生活ができないという状況って、僕自身は今まで経験したことがないです。そういう意味において、南国の人たちはやはり雪国の人たちと比べると、日々の生活における危機感が違うんじゃないかなと思います。


地方の過疎化、高齢化という問題も、南国と雪国とでは趣が違ってくるはず。雪国における過疎化、高齢化は、雪下ろしをする人間の不足とイコールであり、それはすなわち、その地での生活ができなくなることにつながっているんですよね。もちろんボランティアなどいろいろな手段はありますが、自力でできるかできないかは大きく違う。


ともかく、雪が早くやんでくれることを、心より祈っております。