可能性の範域

パソコンをはじめて使う人に対して使い方を教えていて思うのは、
パソコンに「何ができるのか」についての漠然とした感覚を持っているか持っていないかで、
その理解の進み方が大きく違うということ。

デジタルに対するイメージができているか否かといってもいいかもしれない。

デジタルの性質をなんとなくでもつかんでいれば、
複写したり移動したり修正したりすることができることはわかるし、
デジタルを信号としてつかうことによって何か別の作用をおこさせることもできると想像を働かせることもできる。

このように、「何ができるのか」についてのイメージを持っている人は、それをさらに押し進めていくことによって、コンピュータが「できること」の範域を、どんどん拡大していく。

昨日たまたま見ていた番組のなかで、頭で考えたように動かすことのできる機械の腕が紹介されていた。

人間の脳から発せられる信号を増幅して、機械の腕を動かす信号に変換することによって、腕を動かすのだという。

脳から発せられる情報が信号であり、デジタル化することができると考えた人がいたからこそ、機械の腕ができたのだ。

ちなみに、脳からの微弱な信号を増幅する方法は、心臓の鼓動に信号をのせることなのだという。デジタルという形のないものに、物理的な力を組み合わせるという発想は、まさに発想の転換である。

人間が100メートル走るのに、10秒をきるまでにはずいぶん時間がかかったけれど、10秒をきってからは多くのアスリートが9秒代で走れるようになったという。

「何ができるのか」についてのイメージが、何かを創り出すのである。

そして「何ができないのか」、「何をしてはならないのか」についてイメージしておくことが、「できる」という推進力の暴走を押しとどめるのではないだろうか。